途切れそうな自己、私を構成する部品
双極性障害、いわゆる躁鬱病と診断されて1年が経った。ついでにADHDと自閉スペクトラム症という特性も明らかになった。
意外な病名だったのでかなり驚いたし、実をいうと今も自分は病気なんかじゃなく、ただの気分屋なんじゃないかと疑っている。
私の場合は元の特性としてADHDと自閉スペクトラム症があり、二次障害として双極II型障害を併発していると言われた。
双極性障害にはI型とII型があり、ざっくりいうとI型は激しい躁状態を経験し、II型は軽い躁状態を経験する。私はII型なので、軽躁状態が1年のうちに一度あるかないかで、人生のほとんどは軽い抑鬱状態で過ごしている。
1年前、朝がつらい日が続いたので産業医に相談したところ、ADHDの特性が強いと言われ、クリニックを紹介された。
発達障害についてはなんとなく知っていたけど、まさか自分が、という衝撃が強かった。驚きで頭が真っ白になり、そして産業医の前ですこし泣いた。
2週間後、主治医からADHD、自閉スペクトラム症、双極性障害について説明を受けた。
私の仕事は技術専門職で、だから同僚たちにも少なからず発達障害の特性を持っている人がいる。皆スペクトラムのどこかに立っていることになる。
そのせいもあってか、なんとか仕事はこなせている。この点については本当に運がよかったと思う。
双極性障害はすこし厄介で、自分で自分の気分の変化を監視しないといけない。気分がいいと「もしかしたら軽躁かもしれない」と怖くなる。
軽躁だと何が怖いのか。私は軽躁状態のときに大きな買い物をすることが多い。海外旅行、車など。数十万から数百万がサクサク飛んでいく。
気分がいいときほど気をつけないといけないのが双極性障害だと、身をもって知った。
明るい気持ちで幸せを感じているとき、ハッと我に返って「ああ、いまの私のコレは "正常な高揚" なのかな」と考えてくてはいけない。切ない病気だと思う。
産業医に「双極性障害もあるそうです」と報告したら、「英語だと Bipolar Type II だね」と言われた。へえ格好いい響き、と思った。
診断が下りて病気や特性と生きていくことになっても、私という個が突然途切れてしまうわけではないと知っている。
でも生きているうちに生まれ変わったような気持ちになって、それはつまり1年前のあの日、私は死んでしまったのかなとも思う。
もう知らなかったころには戻れない。その事実はふとした瞬間に私を切ない気持ちにさせる。
自己や精神と深く関わる病気や障害は、思っていたよりもきついんだな、と思った。毎日、薬を飲みながら、私という個を構成する部品について考えている。