駅ピアノ ならぬ 寺ピアノ
最近、駅ピアノという存在を知った。 ストリートピアノというやつらしい。
たまたまテレビを見ていたら、某放送局の番組で、駅ピアノを弾いてる方々の様子やインタビューの内容を紹介していた。
えっ!?なんだかおもしろそう。
聴いている人がいるような、いないような、聴いて欲しいような、聴いてほしくないような、でも、一人ぼっちで弾くよりは、ちょっと気合を入れて弾く。 そんな状況に、心惹かれた。
娘に、「なあなあ。駅ピアノって知ってる?」と聞くと、何をいまさら感満載で、一気に説明をされた。 なんでも、カルビちゃんだかハラミちゃんだとかいう、ストリートピアノから有名になった人を出してきて、具体的に説明してくれた。
その人だったら、テレビで見たことがある。
なるほど。そうやったんか。
で、私も弾いてみたくなった。
私のピアノの腕前は、謙遜でもなんでもなく、まったくもってたいしたことはない。
子どものころに習い始め、発表会のためには練習するが、日常の練習ときたら、レッスンが終わるたびに毎回反省をしては、次のレッスンでまた叱られるという、ありがちなパターンを踏んできた。
それでも、中学校2年生ごろまでは、叱られながらも続けていたが、結局、勉強が忙しいからという、ピアノの先生にとって、つっこみようがない理由で、辞めてしまった。
今だったら、そんな恥ずかしい理由はとても言えない。
絶対に、そんな理由は嘘に決まってるとバレバレなのに、よくもまあ、平気な顔をして言えたものである。
まっ、そんなだから、楽譜通りに弾くのもやっとこさ。 ♯や♭がいくつもついていると、もうそれだけで、弾く意欲がうせてしまう。とにかく、簡単な楽譜で、音をまちがえないようにすることに集中するのみ。 そんな弾き方しかできない。
ただ、一つ、得意技がある。
なりきりである。
ピアニストになりきりである。
どんなにまちがえようと、へたくそだろうと、弾いている時はピアニストになれるのだ。
幼き頃、ピアノの先生に何度も肩をバシッとやられた。 漫才のつっこみのように、裏打ちでバシッとやられた。 バシッとやられた後に、必ず、「揺れない。」と言われた。
えっ!?
私にはその意味が全く分からなかった。
なので、また続きを弾き始める。
すると、またバシッ。「揺れない。」となるのだ。
どうやら、私は、技術はともかく、曲にのってくると、身体が揺れるらしい。本人には全く自覚がない。「何言うてんねん。」と、心の中でいつも思っていた。
反省がないから、しょっちゅう、バシッとなる。 何度もなる。
あまりにも何度もなるので、もしかして、私って、ほんとうに揺れてるのかもしれんと思いだし、弾くときに、少し意識をしてみた。
全然揺れてない。 背筋もきれいに伸びてるし、てのひらは、たまごを握れるほどの空間を残した、きれいな形をキープしている。 ピアノとの距離も、ちゃんとキープ。
「何言うてんねん。」と、心の中で再度思う。 というか、「ほれみてみ~。」まで思う。
そして、どんどん弾いていく。
曲は、盛り上がりの、私の大好きなところに差し掛かる。
ぐらっ。
あれっ。
ぐらぐらっ。
あれあれっ。
揺れてる。
確かに。
揺れてる。
しかも、だんだん揺れが大きくなってくる。
あ~。揺れてる~。
視界の片隅で、先生の手が動くのが見えた。
バシッ。
いつのまにか、なりきっていた。テレビでみたことのあるピアニストに。
そういう時は、自分のピアノの音ではなく、テレビでみたピアニストの音になって聴こえてくる。 だから、間違っても平気なのである。 だって、私は、あの有名なピアニストなんだから。 バランスの悪い和音なんて、弾くわけがない。 いつも、完璧な響きを奏でている。 アップライトなのに、グランドピアノの音色が聴こえる。
そりゃあ、上達するわけがない。
話がそれてしまった。
まあ、私も、駅ピアノっていうのを、弾いてみたくなったのだ。
ただ、そんなしゃれた駅が近くにあるわけではなく、どうしたものかと、ネットで検索したところ、車で小一時間ほどのところにある寺に、ピアノが置いてあるということを、発見した。
それも、真っピンクのグランドピアノが、いつでもだれでも弾けるらしい。なんで、真っピンクなのかはわからないが、グランドピアノが弾けるなんて、こんなうれしいことはない。 しかも、そこには、どんなに揺れても、裏打ちする先生はいない。
弾いてみたい。
寺にあるっていうのも、なんだかおもしろい。
駅ピアノならぬ、寺ピアノやないか。
とにかく、まず行ってみることだ。(本当は、まずは練習だったと、今になって思うが・・・。)
ピアノを弾いてよい時間帯も、常識の範囲内であれば、何時でもいいらしい。
となれば、いざ、寺へ。
ほかの人が来ないような時間帯を選んで、朝の8時すぎに、寺に到着した。
寺の入口がわからず、少々うろうろしたものの、かすかに聴こえるピアノの音色をたどり、寺の駐車場に設置されたコンテナにたどり着く。
あった。これや。
すでに、先客あり。
コンテナの外には、ちょっとしゃれたテーブルと椅子が、3セットばかり置かれている。
そこに、座って、先客の演奏を聴く。
キャップをうしろかぶりにした、ちょっといかついめのお兄さんが、ものすごく真剣に弾いている。 曲は、あのタイタニックの主題歌「My Heart Will Go On」だ。 一音いちおん、とてもていねいに弾いている。 リズムも、きちんと刻んでいる。 いかついめの風貌と、その音とは、まったく結びつかない。 しかも、ちょっと失礼を承知で言わせてもらうと、そんなにお上手ではない。この技術で、この選曲は、ちょっと無謀かとも思われる。 でも、すごく練習量を感じる。 真剣である。 ものすごく、真剣である。
わかった。
この人は、もうすぐ結婚をするんやな。 ほんで、結婚式で、この曲を、花嫁に披露するわけやな。 サプライズとか言うて。 ほんで、こんな寺のピアノで、こっそり練習しているわけか。 花嫁の感動の涙を想像しながら、弾いているわけやな。 なるほど。 そういう人も、弾きにくるのか。
もし、ここに、駅ピアノのTVクルーがいたら、そういう背景を、ナレーションに入れて、人々の感動を誘うわけやな。 ぴったりの、エピソードやなあ。
いや。待てよ。
もし、ここに、本当にTVクルーがいたら、私はどうする? そんなエピソードは何もない。 えっ?どうしよ。 作る? いや、そんなん無理やろ。 え~~っ。
と、一人で妄想していると、コンテナの扉ががらがらと開いて、お兄さんが出てきた。 体格の良い身体を、前かがみにしながら、少し恥ずかしそうにしている。 もちろん、ずっと集中して聴いていたかのように、思いっきり拍手を送った。 お兄さんは、小さい会釈をこきざみにしながら、去っていった。
妄想タイムを、いや、観客タイムを終え、今度は私の番である。
コンテナの中に足を踏み入れる。 ほんまに、真っピンクや。 しかも、ピアノの周りには、なにやら、かわいい飾りが、いろいろと貼り付けられている。 ピアノのふたをあけると、そこには、鍵盤のカバーがあり、これまたピンク。 しかも、猫の形がくりぬかれている。 ひやあ~。なんか、えらく凝ってるなあ。
でも、誰もいない。
遠慮することなく、裏打ちされることなく、安心して弾くことができる。
息を整えてから、弾き始めたその音は、コンテナの中で、反響し合って、ものすごく大きな音に聴こえる。
はじめは、びっくりしたけど、この大きな音は、なりきりピアニストには、もってこいだった。 間違えても、テンポがずれても、残響ってことで、すべて許される。 いやあ。 気持ちがいい。 朝早くから、誰に遠慮することなく、グランドピアノを弾けるなんて。
なんて贅沢。
酔いしれていると、ぞくぞくと、自転車に乗った人たちが駐車場にやってきた。 普段着の服装からして、地元の人々のようだ。 坂道をものともせずに、電動自転車をすいすいこいで、詰めかけてくる。 それも、けっこうな人生の先輩がたの年齢層である。
まさか。 私のピアノの音を聴いて、近所から駆け付けてきたのか。 えっ? 私って、なりきりだけじゃなく、けっこう弾けてたのか? タイタニックよりも、演奏はよかったってことやな。 うわ~。 どういう反応したらいいんやろう。 話しかけられたりするんやろか。
心の中の騒がしさは微塵も見せずに、慇懃にピアノの後片付けをして、コンテナの扉を開けて外に出る。
先輩方は、自転車を次々ととめていく。
そして、ちらっとこちらを見たかと思うと、つぎつぎと、坂道をさらに徒歩で上がっていく。
みんながみんな。
どこいくの~~。
先輩方の行く方向を見ると、そこは墓地。
寺所有の墓地のようだ。 この駐車場は、寺の墓地にお参りに来た人用のものらしい。
えっ?みんな墓に行くの?
ピアノしか見えていなかったので、こんなすぐそばに墓地があることに気がつかなかった。 というか、墓地の駐車場に、ピアノが設置されているだけのことやった。
ピアノメインのつもりだったが、墓地がメインの場所だったらしい。
私の、なりきり妄想寺ピアノは、誰にも聴いてもらえず、寂しい終わりとなった。 そりゃ、全然練習してないんだから、墓に負けるわ。
それにしても、寺ピアノというよりは、墓ピアノやったな。
楽しかったけどね。
でも、なんちゃらコンクールで入賞するようなピアノストの人たちも、けっこう揺れてると思うねんけどなあ。ちがう?
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