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タオルケットに  はさみを入れる

断髪式というのを、何度かテレビで見たことがある。

お相撲さんが引退をするときに、髷にはさみを入れていく儀式のあれである。お世話になった方や、縁があった方々に、少しずつ髷を切っていってもらうのだ。

その時に、耳元でかけられる言葉は、より心に響くのではないだろうか。

はさみを入れる人が、引退する力士の肩に手を乗せて、何か言葉をかけている姿を見ると、なじみのない力士であっても、胸にせまるものがある。

相撲はよくわからないが、断髪式が、一人の人が人生に一つの区切りをつける大切な場面であることはわかる。

わたしだったら、どんな言葉をかけるんだろう。また、かけて欲しいだろう。

卒業文集の寄せ書きなどと同じで、人それぞれに言葉は違うけど、伝えたい思いはなんとなくみんな同じという、あの感じではないだろうか。

結婚式のスピーチもしかりである。月並みですが・・・の月並みって、実はすごいんだなと思う。結局は、幸せになってねってことを伝えたいわけで。


そして、断髪式におけるはさみの役割の大きさも感じる。

もちろん、髪を切るのだから、はさみはいるわけだが、髪だけでなく、その人の相撲取り人生との決別にもはさみが入るわけだ。

実際の断髪式は、ちょこっとしか切っていないように見え、テレビを通して、はさみの音が聞こえるわけじゃないけど、たちばさみで布を切る時の、ジャキッという音が聞こえてくる気がする。

ジャキッ 

ジャキッ 

ジャキッ


もうすぐ娘が出産をする。

母親としては、これといって何もすることはなく、ただただ連絡を待つのみではある。

二人で育児をしていきたいという娘夫婦の強い思いを尊重して、せいぜいお祝いを贈るくらいである。

出産準備品にしてもしかり。

自分たちで用意するとのこと。

これといってすることが本当にない。

まったく、あてにもされていなければ、信用もされていないってことのようだ。

なんだか、私の子育てが否定されているようで寂しいが、できてないことだらけの子育てだったので、それも仕方ないと受け入れるしかない。


せいぜい、娘が生まれてから3年間、毎日つけてきた育児日記を渡したくらいである。

ピーターラビットの育児日記帳で、出産のお祝いにいただいたものである。3年もつけられるかなという不安はあったが、一日分のスペースがとても小さいので、なんとか3年間続けることができた。

娘に渡す前に読み返そうとしたが、たとえ一日分のスペースが小さいとはいえ、3年分ともなると、365×3日分もあり、さすがに読み切るのは難しいと思い、ちらっと読んだだけで、娘に渡してしまった。

ちらっと見ただけでも、とにかくかわいいと思っている様子がダイレクトに伝わってきたので、そんなこっぱずかしいものを読み続けることも、私には難しかったのだ。


もう一つ、ひそかに準備したことがある。それは、娘が使っていた絵本やおもちゃを、いつでも引っ張り出せるように、押し入れの中を整理し、確認しておいたことである。

どの絵本もおもちゃも、思い入れがたくさん。

絵本については、世間で良本とされているというよりは、娘が気に入っていたものを残しているので、その時の様子や、何度も読み聞かせをした記憶などがよみがえる。

おもちゃも、憧れの木のおもちゃやさんで購入したものや、いただいたものや、いろいろとあるが、なかでも、大泣きをした時に聞かせると、かなりの確率でピタッとなきやむオルゴールが思い出深い。

てんとうむしをデフォルメしたようなデザインのそのオルゴールは、身体にも顔にも、大きな丸いホシがたくさんついている。

オルゴールの音だけでなく、そのてんとうむしもどきを見せるだけでも、泣き止むことがたびたびあった。

そんな様子を見て、夫が、「将来、顔にぶつぶつがある人のことを好きになったら、どうしよう。」とつぶやいていたことも思い出される。

ぶつぶつでもいいやないか。

でも、こんないろんな色の大きなぶつぶつがついている人は、なかなかいないとは思うけど。



そして、一番の大仕事は、娘が赤ちゃんの時に使っていたタオルケットを処分することである。

色も褪せ、染みも付き、何度も洗って固くなった布地。

うさちゃんがついたクリーム色のものと、ペガサスがついたベビーピンクのものを、捨てられずにのこしてあった。

押し入れの中で、それらを目にするたびに、娘の赤ちゃんの頃を思い出し、まだまだ手元にいるような気になっていたのかもしれない。

とっくに、家を出て、結婚もし、もうすぐ出産をするというのに。

このままではいかんな。

ばばばあちゃんになる準備を始めなくては。

娘は、母親になるというのに。

自分のやり方で、子育てをしていこうとしているのに。

いよいよ、これらを処分するときがきたようだ。



ジャキッ

と、ひと切れはさみを入れる。

このタオルケットを、お腹にかぶせて眠っていた姿が浮かぶ。


ジャキッ

タオルケットにくるまれて、腕の中で抱かれていた姿が浮かぶ。


ジャキッ

風よけにかけたタオルケットの下で、うれしそうにベビーカーでの散歩を楽しむ姿が浮かぶ。


ジャキッ

お風呂上りに、、、、

いやいや。きりがない。いくらでも、タオルケットとの場面が浮かんでくる。


母になろうとしている娘は、もうとっくに私の手元から離れているのだから、私もしっかりと手放さないと。

そして、静かに見守る覚悟をしないと。


ジャキッ

ジャキッ

ジャキッ

うさちゃんと、ペガサスのところは、なかなか切れない。

それでも、ジャキッ

ジャキッ

はさみを、すすめる。

孫の誕生がうれしいのか、娘が親になることがうれしいのか、どっちなんだろう。

どちらにせよ、私にとっては、次の世代への送り出しの儀式。

一人で断髪式。いや。断タオルケット式。

真夏の暑い日に、ひっそりと寝室で行われましたとさ。

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