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「また来年お願いします」は ないかも

知り合いに、障がい者スポーツの振興にずっと携わっておられる方がいる。

70歳を迎える今も、障がい者スポーツの啓発活動を続けておられる。その熱い思いや、行動力は、若いころからちっとも変わらない。

その方から、障がい者スポーツの大会ボランティア依頼の連絡が入った。日ごろから、活動に携わるボランティアの人手不足を嘆いておられ、少しは大変さを知っているつもりである。

ただ、治療を積み重ねてきて、副作用の影響から、体力面での衰えを強く実感しているこの頃。その上、整形外科的にも、力仕事にはドクターストップがかかっている。今の私には、身体に障害のある成人の方の、身体を支える自信が全くもてない。当たり前だが、万に一つも、相手の方にけがをさせるようなことがあってはいけないのだから。

そのように事情を伝えてお断りをしました。

ただ、身体を使う以外のお手伝いならできますよって、付け加えておいた。


それに対して、身体を支えるようなお手伝いはないということと、受付や消毒などのお手伝いであることが、お返事として返ってきました。

そして、

「でも、一日仕事なので、体力的にしんどいかもしれないから、また来年お願いするね~。」

という言葉で終わっていた。

その人は、私の病気のことも知っていて、最近の私の様子もなんとなくだけど知ってはいる。

できない仕事内容ではないけど、きっと、無理しないように気遣ってくださったんだと思う。

ありがたく、その言葉を受け入れればよいのだが、スマホをもったまま、固まってしまった私。


「また、来年お願いするね~。」

この言葉が、ずしーんと腹に一発きいてしまったのだ。


来年の方が元気になってると、そう思ってはるんかなあ。


化学療法の継続に伴い、薬の蓄積の影響か、少しずつ、体力が落ちてきている今。
きっと、来年の方が、体力はもっと落ちているだろう。
病気についても、いつどうなるかわからない。
来年のことなんて、わからない。



やるなら、今年やん。


「また来年」て言葉が、こんなにも、重く感じるなんて、これまではなかった・・・・。




そんなことを悶々と考えた。

何が何でも、やりたいことではないけれど、今しかできないことかもしれない。
今しかできない。
かも。

そう思った途端、お手伝いさせてもらいますって返信していた。
焦って返信しようとするから、文字の入力まちがいがたくさん。
そんなに焦らなくてもいいのに、やらなくちゃという思いが、
ぐおお~んと、湧き上がってきて、ほぼほぼ脊髄反射のような動きをしていた。

病気になってから、限りある時間を意識するようになり、やりたいことはやっておこうと思っている。
なかなかできてはいないけど。

しかし、今回のことで、やりたいことだけでなく、「できることをできるうちに」ということの大切さに、気づかされた。


今できることを、今のうちに。

病気であろうとなかろうと、この年齢になると、残りの時間の方が短くなっているのは確かなわけで、それならば、動けるうちに、できることをやっておきたいと。
来年がわからへんのやから、今できるんやったら、やっておきたい。

私がお手伝いできることなんて、たかが知れている。
こんなに大げさに考えるようなことでは、ないんやと思う。

だけど、
いつのまにか、
一つひとつの事柄を、大事にするようになっていたみたい。


やりたいことやる。

私の本当にやりたいことって、何やろう。
退職をしてから、ずっと考え続けている。


そこに、さらに付け加わった。

できることをする。

できることって、なんやろう。

今だから、できること。
今しか、できないこと。
今だからこそ、できること。

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