見出し画像

友人と同居して気付いた私の1番やりたいこと

少し前の話になりますが、2021年の春から秋までの約半年間、諸事情あって友人(女性)と私の子どもたちと5人で同居生活をすることになりました。

彼女は関西出身の学生時代の古い友人なのですが、明るいのんびりした性格と同い年の気の置けなさもあって我が家の子どもたちにもすんなり受け入れられ、結婚以来初めての他人と私の共同生活は思いもよらずとても楽しいものになりました。

というのも、彼女は朝起きてまず私におはようと挨拶をして、コーヒーを淹れながら私にも「飲む?」と聞いてくれます。それから子どもたちを見送って、私の仕事や雑談の相手をしてくれます。私が作ったごはんはおいしいと褒めてくれ、仕事の合間に一緒に出かけた先のカフェではとても楽しそうに一緒に過ごし、ジョークを交えながら会話を楽しんでくれるのです。
リビングのティッシュがもうすぐなくなるなと思ったら補充してくれているし、子どもたちのゲームの相手を嫌がらずにしたあと、趣味のダンスサークルの集まりに出かけたりしていました。なんでもないような毎日を穏やかに楽しく過ごし、そして手助けしてくれる素敵な存在でした。
もう何年もひとりで家事育児仕事に追われていた私です。他人とこんなに穏やかな生活を送った経験などもちろんなく、この共同生活は本当に驚きと感動の連続でした。

そんなことで感動するの?と思われる方は、きっと自分が思った以上に配偶者やパートナーに恵まれており、最強に幸せな人なんだと思います。そのお相手を大事にしていって欲しいと心から思います。

日々の生活の中でおいしいものを食べておいしいと言う相手が同じ家の中にいること、きれいな海を見てきれいだねという感情を共有する相手が身近にいること、あとでやろうと思っていたちょっとした家事に気付いてやってくれていること、朝起きておはようという人がいること、子どもたちが寝た後にテレビを見ながら晩酌しようよ誘ってくれておつまみを作ってくれる相手がいること、この小さな出来事がどんなに幸せなことなのか40代になった今かけがえのないものであると今更気付いたのです。



それなら結婚したらいいのではという結論になるかもしれません。もちろんその相手が結婚相手であればもうこれ以上ないほどの幸せなことだと思います。

ただ私が一緒にいて安心できる同居相手は、決して恋愛感情を含んだ異性に限るものではなく、自立しておりお互いに共感できる心を持ち、なおかつリスペクトできる部分を持つ人間であれば性別年齢を問わないということに気付いたのです。
むしろ恋愛感情が不要で、家事能力や子育てスキル、共感する能力を世間一般的にみると女性同士の方が合っているような気もします。(もちろん家事育児能力や共感する力のある男性がたくさんいることも承知しています)

ただその他人同士の同居には経済的な側面や、一定の距離を保つためのプライベート空間の確保など難しい面もあります。幸い私と友人はその問題はクリアしており、お互いに干渉し過ぎることはなく適度な距離を保った上で楽しい半年間を過ごすことができたのです。

我が家の3人の子どもたちも、家事をしている大人と、自分たちの話や遊びに付き合ってくれる大人の両方が存在することでよい影響が出ていることが私から見ても明らかでした。
それは本来であれば父親も担うべき役割なのでしょうが、無理に男性に父親役をしてもらわなくとも、精神的に落ち着いた大人が複数いるということが子どものメンタルにも大変よかったと思っています。

今はまだ幼い子どもたちを育て上げることが私の一番の使命なので再婚する予定などは全くありませんが、いつか歳をとってひとりになったとき、お互いに「お茶淹れるけど飲む?」「今日の天気すごくいいね」と何でもないような会話ができるような人と、お互いに助け合いながら一緒に老後を過ごしていけたらいいなと、あの同居生活から何となく思っています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?