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長野神楽坂長野

ロックダウンが解除されてから、初めて東京都新宿区神楽坂を長野ナンバーのスズキの軽自動車で訪れてきました。

「都道府県をまたいだ移動を自粛」と言われていますが、結婚や家族に関することなので、不要不急の移動ではなくて、とても急用かつ重要な移動だったのです。結婚のお許しをもらいたくて、ツレのご家族にお会いしてきました。

結果からすれば、返事はオーケー、家族も私たちもコロナのコの字も無く、無事に平穏な日々を過ごしています。

地元の方々とマスク越しに話をすると、えー!東京なんて行ってきたの?大丈夫?と危なげな視線を向けられますが、ツレの親御さんたちの言葉を借りれば、東京には1400万人もの人々が行き来していて、この中の極々一部の感染した人達ばかりが針小棒大に取り上げられて、あたかも東京都がコロナの街であるかのように報道されているけれど、実態としてはこうして親御さんたちのように、以前と何ら変わりなく平穏な生活をおくっている人たちが大半なわけです。

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新宿に住宅があり、普通の一般庶民としての生活をおくっている人たちが、毎日感染リスクの高い場所を訪れたり、そういった行動をしているかと言えば、そんなことは全くないのです。マスクを着けて外出し、仕事場へはチャリンコで移動。仕事場でもマスクを着けて、手洗いと換気を行っている。ここまでやっていて、感染したとしたら、それはもはや時の運としか言いようがないと思います。

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今回、人混みを避けながら神楽坂の街中を歩いてみて思ったのは、3月頃と比べると圧倒的にマスクの着用率が上がり、手の消毒率も高くなったということです。人々の衛生意識がかなり高くなったと感じました。ソーシャルディスタンスも適度に守られていて、スーパーや飲食店などでも、不快な思いをすることがありませんでした。

私はコロナ禍以前の、混雑していたころの神楽坂の街の様子は知りませんが、もし今の状態で経済が回るのだとしたら、このくらいの人口密度が、人々が生活するのに適したボリュームなんだろうなと思います。中国や海外からのインバウンドでごった返していたころの街の様子というのが、ただ単に異常だったのではないかと感じます。このまま「適度な都会」に落ち着いてくれたら、そこに生活する人たちにとって心地よいのではないかなと思います。

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長野に戻ってみて・・・

さて、今後の私たちの生活を考えると、多くの難題が待ち構えています。長野県でのコロナブーム。以前の事業計画ではビジネスが全く立ち行かないことになってしまったので、別の手立てを模索しているところです。

#おうちでごはん  の時流になり、家庭での野菜や米の消費量は上がっている感じがするので、このまま適度な生産規模の野菜農家をやっていけば、ソコソコの生活はできるような気がしています。

しかしながら、また今後のエントリーで投稿しようと思っていますが、#こどものいない中年夫婦 というのは、田舎で何となく疎外感があります。私は30代、ツレは40代ですが、このくらいの年代の人達は田舎に行くと希少な存在で、そういった珍しい者同士の共通の話題やライフスタイルの中に、こどもたちの存在を大きく感じます。

都会では独身の方々も多く、彼らの生き方がスッポリと収まる場所が社会に存在しているように思いますが、地方の田舎において、せっかくやってきた移住者夫婦に子どもがいない、生まれる確率が低いとなれば、地域社会からの経済的、精神的サポートの度合いが全く違います。

私自身、いま居住している長野県の上田市から故郷の長和町にかけて、地域に密着した若手のインフルエンサーの一人ではないかと、自負しているところがありますが、他の若手の方々をながめていると、30代ではやはり子育てが仕事以上に重要な生活の基盤になっていると強く感じます。

30代が田舎で何か楽しめることをやろう!と意気込んだ時、小さな我が子たちはどうなるの?という点は絶対に見過ごすことができません。子育てに奮闘する親同士のコミュニティに入ることはできませんが、そういった方々とは別のライフスタイルがあって、豊かな人生をおくるためのキーポイントがあったりするはずです。

まだまだ、これから長い予定の人生ですから、平均して生活の質を高めることに意識をおいて共にのんびりと生きてゆこうと思います。

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では、また。アリベデルチ。

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