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制約条件を明確にする

 今回は、上の前回の記事からの続きになります。とはいえ、前回どのスタンスで書けばいいのかわからなくなったので、序文をつけ加えました。
 私の個別の事例がどこまで一般として開かれるのか疑問もありますが、むしろ個別の事例だからこそ意味のある文章しか書けないというか、わたしが一般論を書いてもしょうがないんですよね。常に「その人が今置かれた状況」から考える。それは前回から共通することです。
 制約条件もまた、今置かれた状況を表すものです。自分たちの今置かれた状況を掴むことからはじめようというわけです。

一般的な制約条件

 多くの制約条件は、そう思い込んでいるだけだろうとは思いますが、人の思い
込みを「それは思い込みだから」と言って、理解して解除してもらえるほど簡単ではありません。
 だからこそ、考えて解除できる制約は、解除してみることが大事だと思います。どんな制約があるでしょうか。

・地理的な制約(あるいは地域的な制約)
・時間的な制約
・経済的な制約

 などなど、ありそうです。基本的なこの三つの制約をひとまず書き出しておきました。
 ・どこに立地していてどこへのアクセスはいいのか、あるいは悪いのか。
  (その地域ならではの慣習や商習慣はないか)
 ・時間意識や時間の使い方で定められた時間での行動制約などはないか。
 ・予算の都合でかけられる投資額はどの程度なのか。

 たとえば、当時の当社の場合、三拠点あって物理的に離れていること(どちらかにしかわたしも身を置けない)空間の制約、時間の制約、使える予算の制約、絶対に交わらない一部の人間関係の制約など、ざっと挙げられるだけでもいくつかありました。
 一旦全部上げてみると、「これは実は制約条件ではないのではないか、ただの誰かの無意識の習慣が当たり前になっているだけで、変えようと思えば変えられるのでは?」みたいなものも結構見いだせるものです。
 たとえば、総務経理を中心とした管理部門がわざわざ事業部とは別の三拠点目として管理センターをつくっていました。何も生産しない管理部門のために10時と3時に社内便が周り、伝票を集めて回っていました。これはできるだけ早めに制約から解除しようと決めました。

事業構造上の制約を知る

 もうひとつとても大事な制約があります。それは事業の構造やビジネスモデルです。こちらのほうがその企業独自の特殊性が出ます。ビジネスモデルが組織に与えている影響というのが実はとても大きいというのが、最近特に感じることです。
 これ当時は気付いていなかったのですが、なぜ事業部別に文化差が生まれるのかには興味があって、そこから気付いたことでした。

 ビジネスモデルが組織文化を作ってしまうということがあるのではないか。
 複数の事業を行っていると、その事業構造に合わせた「行動」が生まれ、その行動に合わせて文化ができあがるのではないかという仮説です。

 たとえば、今にも通ずる当社の大きな課題のひとつに「組織的活動が苦手」ということがあります。
 シール印刷機のオペレーションは、印刷から加工まで全部一人でやるわけです。通常のチラシやパンフレットなどの印刷会社さんは、印刷は印刷、加工は加工、それぞれの横の分業があるのですが、シールの場合は最初から最後まで全部自分でできてしまいます。それが良い面もありますし、悪い面もあります。
 同様に、営業もお客様別にカスタマイズのサービスがかなり多くて、長く担当を続けざるをえないケースが多くなります。結果、どちらも暗黙知化しやすいわけです。このあたりはカスタムサービスなり標準化の方法があるのですが、またその話は別の機会に譲りましょう。

 スポーツでたとえるなら、集団競技ではなく、個人競技者が多くて仕事が自己完結してしまうのです。自分の満点を目指してしまい、会社や組織としてのゴールが見えなくなるんですね。結果、個人事業主が大量にあちこちいる状態が生まれていました。
 一方で、個人の裁量が非常に大きく、みんなそれぞれの仕事に誇りを持っていました。自分なりのやり方ができることで仕事を楽しんでいたとも言えると思います。

 そのことそのものはとてもいいことではないかと思いつつも、重要な判断を個人の裁量に任せてしまうことの問題点は残りました。

 一方のもうひとつのスクリーン印刷事業は、複数工程またいだり、人数を要したりするため、チーム連携は得意でした。案件は数年単位で変わりますから、組織変化のスピード感もありました。但し、事業部内の連携はよくできるのですが、事業部間の連携はやはり得意ではありませんでした。

 運送業なら運送業の、建築業なら建築業の、それぞれさらに細かな事業区分でさえ文化差は生まれてくるのだと思います。誰をお客さんにしているかによっても変わるでしょう。
 それらの制約条件はそのまま私たち自身、つまりあなたたち自身の行動や習慣を決めています。
 何を変えて何を変えないのか。その見極めが非常に大事になってきます。そしてそれは決して変えられないものではないのだと思います。

親族という制約

 最後に、良くも悪くも影響を与えるのは跡継ぎが一族であるということです。今日でこそファミリービジネスは経営学の文脈では見直されていますが、こと働いている従業員の人たちにとってみれば、どこまでやってくれるのか見てやろうかという気持ちもあるでしょう。

 かなり上の世代はまだこどもの頃のわたしを見ていますが、同世代や少し上、10歳上くらいの従業員の一部の人にしてみれば、おもしろくない人もいるわけです。
 つまり、対立軸がわたしに向いているということはあるわけで、そこをないことにはできません。それでいて、みんなもわたしにそれを明確に伝えることはありません。おそらくこれはどんな状況においても必ず発生することでしょう。
 まずは「認識上の制約が少なからずある」ということを確実にわかっておくことが重要だろうと思います。みんなからはどういうふうに見えているか、それをどう変えたら、あるいはそのままにしたらいいのか。
 まあ、でも、こればかりはどうにもならないんですよね。まったく気にしないほうがいい後継者もいるでしょう。

 前回書いたその人自身の持つ強みや弱み、その会社が持つ組織文化、それらの組み合わせで無限にパターンがあるように思います。だからこそ一般論では語ることはできず、それぞれの固有の解決方法からしかヒントは得られないのではないかと思います。

 わたしの場合は、まず大連工場の立ち上げで駐在中に、出張応援で来てくれた本社のメンバーと仲良くなっていくチャンスがありました。

 帰国後もそこにいる人と向き合うところからスタートし、社内特有のことは学ばせてもらいながら、あらゆる制度や方法が、なぜそうでなければならないのか問いかけつつ、自分で納得できるものと納得できないものを探っていったように思います。

 そのように「わたし」がどういう施策を好んで、どれくらい人を大事にしていて、真剣に事業回復のために尽力しているかを理解してもらう時間が必要でした。わたしも会社を理解するし、メンバーからもわたしを理解してもらう、そういうすり合わせの時間ですね。

 ちなみにわたしのやり方は、穏健派か急進過激派かでいえば、かなりの穏健派だと某金融機関のコンサルの方からも言われました。
 これも今のこの会社に合わせたやり方だったので、中国ではわりと過激ではないにしても、急進派的に進めたことも多かったのです。

制約にとらわれない

 ここまできてすべてひっくり返すようですが、制約は思い込んでるだけの可能性があるので、あまりとらわれすぎない方がいいでしょう。
 ただ、なぜそういう組織文化になっているのか、そういう習慣があるのか、行動パターンが決まっているのかはある程度類推することができました。
 あくまでも今効いている制約が何でどう解除できるのか、解除や活用の方向に意識を向けたいところです。

 全部が全部うまくいくわけではないし、初期段階でどこまでやるかというのもあります。組織の範囲、完成度、それらは時間が流れると共に変化していきます。どうせ変わってしまうので、あまり完成度を求めず、まずは加点法で少しでも変化したらよしとして考えた方が精神衛生上もよさそうです。

 次回はいよいよ「やめることを決める」です。

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