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最悪のケースと最善のケース

●会社の目の前の桜もほぼ満開で、たぶん今がピークかなと思う。

○桜のピークってほんと悲しさすらある。
◎おそらく自分も年齢的にピークを越えたことを自覚しているからこそ感じるはかなさでもある。

○今日の最大の気付きがあった。
 経営者っていうのは基本的に最悪のケースと最善のケースを自動的に想定してしまうものだ。少なくともわたしは常にそうで、特に最悪のケースは考えておく。そうじゃないと不意に会社が危機的な状況に陥ってしまうかもしれないからだ。ちょっとしたことで簡単に落ちていく。
 あらゆる外的もしくは内的兆候から、ヒントを見つけ、最悪になってしまう場合を嗅ぎ取るようにしている。(それが外れてしまうと落ち込むことになるわけだけれど)
○そのために、いくつかの最悪のシナリオパターンを頭に入れておく。常に。二手、三手先まで。(だからマイナスの思考が常に頭の中に残っていることになる。)

○で、そんな自分の考え方に自信を持っていた。

○だけど、そんなふうに思っていたけれど、考えたら最善のケースでも想定できるシナリオはいくつかあるんじゃないか。そして、わたしはあまりそこを考えていないことに気づいた。全然、こちら側の二手、三手先まで想像していない。
 だから同時に本当は最善のシナリオパターンをいくつか頭の中に残し続けていれば、かなりプラスな思考になるのじゃないだろうか。
 ここまで気付いたときには自分で感動した。

○改めてここまで書いてみて、いや、そうなんだけれど、最善のケースを考えるためには、いくつかステップがあるだろうなとも思う。ちゃんとアイデアを出して施策を練る必要がある。
 マイナスの対策シナリオは自然と何もしなくても浮かぶけれど、最善のケースは思いつきではいけない。ちゃんとアイデアを練る必要がある。それかも。そういうステップをちゃんとやるのが仕事だ。

◎思い返してみると、そもそもわたしは、主人公が自分から最善の何かを成し遂げるために動く戯曲を書いたことがない。そんな古いアメリカの大衆映画みたいな話は書きたくなかったし、書くつもりもなかった。

●だけども現実の最善のシナリオ、今からできる最善の道を考えてみるのも悪くない。泥臭くてもいい。そして、きっとこっちのほうがきっと楽しい。そこをちゃんと考えようと思った日。

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