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大学温泉、秘密

 大学の一年目は学生寮で暮らした。
 地主が個人でやっていた寮で、個室だったし、色んな学校の生徒が集まっていたから面倒くさい上下関係もない。おかげで存外居心地は良かった。
 ただ、日曜・祝日は風呂を沸かしてくれないのは不便だった。それで日曜の夕方には自転車で銭湯へ行っていたのだけれど、この銭湯がじきに閉店してしまった。
 近くには他に銭湯がなかったから、電車に乗って、三駅離れた大学前の銭湯『大学温泉』へ行き始めた。
 大学温泉はそれまで行っていた所よりも小さくて、何だか淋しいようだった。
 ドライヤーは百円で三分ぐらい使えるやつだったけれど、風が弱くて一度では乾かない。自分はヘビメタで長髪だったものだから、なおさら乾かない。あの時分、入浴料は四百円だったと記憶しているが、その上ドライヤーで三百円も四百円も払うのはつまらない。それで儀礼的に百円分だけ使って、後は乾かなくてもそのまま店を出ることにした。

 ある時、大学温泉の帰りに電車に乗ったら、寮の先輩の西原さんと山下さんに出くわした。
「おぉ、百君。何だこんなところで」
「大学温泉に行ってきたんですよ」
「それで頭がボサボサなのか」
「そうなんですよ。ドライヤーが弱弱よわよわで」
「大変だねぇ」
 随分他人事のように言う。
 考えてみれば、西原さんも山下さんも銭湯事情は同じはずなのに、大学温泉で会ったことがない。今だって、これから寮へ帰るのだったら、どこかで入浴したのに違いない。全体どうしているのかと問うてみたら、「何、出かけたついでに梅田の方で入ってくるのだよ」と西原さんが言った。
「梅田?」
「そう。梅田だよ」
 大学温泉までの三駅でも億劫なのに、毎週梅田まで行くのはいよいよ面倒だ。これ以上聞いたってしようがないと思ったからその話はそれぎりにしておいたが、何とはなしに、歯切れの悪いような心持ちもした。

 後になって、西原さんと山下さんができていたと知り、そういう風呂だったのかと得心した。

 大学温泉はその翌年に廃業した。その時分にはもう寮を出てワンルーム暮らしを始めていて、最後に記念に入りに行こうかと思ったけれど、面倒だから止した。

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