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過去にけりをつける

 昨日の朝、書類を書こうとしたらボールペンのインクが途中で切れた。インクを使い切るのは、何だか達成感があっていい。
 以前、喫煙者だった頃はライターのガスを使い切っても同じ達成感があった。

 社会に出たての頃——まだキャッシュレス決済などなかった時代——、レジ前でもたつくのが嫌だったから、買い物の際にいつも紙幣で払っていた。
 例えば600円払うのに1000円札を出すのはワンアクションだけれど、小銭だと100円玉なり500円玉なりを探すところから始めなければならない。500円はわかりやすいからまだいいが、100円と50円は紛らわしい。100円のつもりで取り出して、穴が開いていると随分がっかりする。のみならず、探した結果やっぱりなかった、となることだってある。
 それなら最初から紙幣で支払う方がよっぽどはやい。もたもたしていると店員さんもうんざりするし、順番を待っている他のお客もじりじりするに相違ない——カードを使うという発想はなぜかなかった——。

 そんなことをしていたから小銭が随分増えていき、大きい貯金箱を用意して入れ始めたらじきに筋トレができるぐらいの重さになった。いつか何とかしなければいけないと思いながら、さらに貯金箱は重くなっていった。

 昇進して “管理職” になると、驚くほど収入が減った。上に行くと残業手当がなくなって給料が減ると噂には聞いていたが、ここまで減ると思わなかったから驚いた。
 こうなるともう小銭も使っていかざるを得ない。さっと出せるように、出かける前に硬貨をそれぞれキリのいい枚数用意するようになった。こうしておけば硬貨だってある程度さっと出せる。また、多少もたついても心を鬼にして硬貨で払った。

 そうして10年後に、溜まっていた硬貨を全部使い切った。その時にはもう二度ばかり転職してくたびれた中年になっていたが、若気の至りに落とし前をつけたようで清々しい気がした。

よかったらコーヒーを奢ってください。ブレンドでいいです。