記憶の散歩
仕事帰りに信号待ちをしていると、薄暗い歩道で、若い父親が赤子の背中をぽんぽんやっていた。きっと寝付かせるための散歩だろう。それなら自分にも覚えがある。
娘が幼い頃にはよく、なかなか寝付かないのをおぶって散歩に出た。
アパートから建築中の新居まで、一キロ強を往復するのがいつものコースだった。幹線道路沿いのルートと田圃の裏道があって、寝させる目的だから、大抵静かな裏道を選んでいた。
田圃に水が張ってある時分には、鴨の家族が泳いでいた。娘は鴨を見ると「お父さん鴨、お母さん鴨、◯(娘)ちゃん鴨」と言って随分喜んだ。
夏は田圃の水が街灯や家の灯りを静かに反射させ、蛙の合唱ばかりがワヤワヤ響く。そんな中にいると、子供の時分にやっぱりこんな蛙の声を聴きながら眠ったことや、どこかで見た蛍の群れ、寝室で回っていた幻燈のぼんやりしたオレンジ色など、色んな微睡みの記憶が連綿と浮かんで来る。
すると、おぶっているのが娘であると同時に、幼い頃の自分自身でもあるように思われて、どこまでも二人なのか一人なのか判然しないまま、この道を永劫歩き続けるような心持ちになった。
そのうちに娘は寝息を立て始める。新聞屋の角を曲がると道が広くなり、街灯が増える。車のライトや、信号の光もちらちらと見えてくる。もう家は近い。
家に帰って娘を布団に寝かすと、「おかえりなさい」と妻がビールを出してくれる。
よかったらコーヒーを奢ってください。ブレンドでいいです。