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熱海の茶碗

時間が止まっているようだ、という表現がある。
今いる場所を言い表すのに、これ以上ピッタリくる言い回しもないだろう。
ぼくは、閉店したスナックにいた。
入り口すぐ右にバーカウンターがあり、その後ろで往時は酒瓶が並んでいたであろうキャビネットが寂しくガラス戸の棚を空けている。
赤い絨毯の上には、ぽつり、ぽつりと段ボールが無造作に置かれており、開けたまま中の包み紙が見えているものもある。
8月の夏日で、外はかんかん照りだったが、店内は嘘のように薄暗い。窓がないせいか、ドアを閉めたら昼夜の区別が付かなそうである。シャンデリアのような薄暗い電灯のおかげで、かろうじて書類の文字は読めた。
ドアの外は別世界のように明るい。そのことが、一層この空間を異質に感じさせる。
「それで、湯呑みですとか、茶碗で、1番多いのはどれになりますかね」
ぼくは、普段通り機械的な声で話し続けた。
仕事中である。
内容は、湯呑みや茶碗をネットで売りたい、というものだった。
打ち合わせ場所こそスナックの跡地だが、実は階段を降ると、真下に陶器が積まれた実店舗があった。段ボール箱の中身は、その在庫品だったのだろう。
「どれ、というのは、あんまりないかなぁ」
40くらいと思しき店主は、穏やかな口調で言った。
外では、蝉が鳴いている。忙しない羽音が、店主の言葉のリズムをよりゆっくりと感じさせた。
(この人は、どうやってご飯を食べている人なのだろう)
率直な疑問が湧き上がった。あまり商売気を感じないのである。
何か他に本業があり、陶器の店は道楽か何かなのだろうか。実際、そういう開店の仕方をするネットショップは珍しくない。
いや、それにしては店が鄙びすぎている。新規開業という趣ではない。しかしなんだろう、と、一向に分析できないまま、打ち合わせはつつがなく進む。
そのうち、店主のことが仙人か何かなのではないかと思えてきた。
時間の止まったスナック跡地に、バブル時代の在庫が出そうな歴史を湛えた段ボール、そしてそこにいるのは、浮世離れした店主だ。
十分に仙人じゃないか。
そして、ここは温泉街の奥地にある、誰も知らない壺中の天といった風に捉えると、なんだか全てがつながる気さえした。
「それではまたご連絡させていただきます」
外に出たら、100年くらい経っていたりして……などと、いたずらっぽく考えながら挨拶して外に出たが、もちろんそんなことはなく、外には夏の夕方が広がっていた。
駅までの坂道を、入道雲が見下ろしている。

熱海という街自体、所々に昭和の空気を残しているが、それがあの店の中には特別濃厚に残留していた。
もう10年以上前の話である。
時々あの店のことを思い出すのは、懐旧の情や望郷の念のような、心の中の何かが、あの時の空気に共鳴を起こしているのかもしれない。
仙人は、今も元気でいるだろうか。

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