十二月二十五日 快晴

クリスマスになった。
この季節になると「キャロリング」を思い出す。
町の教会から有志の人間が数台の車に分乗し、さまざまな地区で聖歌を歌って廻るという催しである。
私が物心ついた時には既に行われており、いつから始まり、そして今もあの町で行われているのかはわからない。

クリスマスの夜、団地の北側の父の部屋の窓から、街灯を囲む大人たちが見える。
楽器はない。彼らはクリスマスソングを数曲ア・カペラで歌ったあと、必ず最後に「メリー・クリスマス」と言い、去っていく。
これが、私にとってのクリスマスだった。
クリスマスらしさを感じなくなって久しいのは、この町にはキャロリングの風習がないせいかもしれない。

そのキャロリングに、数年間参加していた時期がある。
きっかけは、友人が教会のそばに住んでおり、一緒に参加しないかと誘ってくれたことだった。
確か中学一年生から始めたはずだが、どのタイミングで行かなくなったのか覚えていない。
我々はまず、クリスマスのミサに参加する。そこで神父か牧師か宣教師か、とにかく前で大人がお説教を始める。
大変失礼な話だが、中学生の坊主にとってはこの時間が異様に長く感じられ、内容は全く頭に入ってこない。
そろそろ睡魔の誘惑に負けるか、というところでようやく話が終わる。
あとは有志を募った後、誰がどの車に乗るかを大人たちが話し合い、だいたい乗用車三台くらいに分乗する。
廻る先はさまざまで、団地の敷地内や、公園の前、個人宅の前で車が止まることもあった。
私も大人に混じって「諸人こぞりて」や「いつくしみ深き」などを歌った。
夜中に外で声を出して歌っていいし、友達と夜更かしできるし、ドライブ気分で町を廻れるし、とても楽しかったのを覚えている。
一度、足が悪くなって教会に来られなくなったお婆さんがいるとかで、その方の家の前で歌ったこともあった。
私が住んでいた団地が順路の一番最後だったと知ったのは、この催しに参加するようになってからである。

全ての行程を終えて教会に戻ると、時刻は午前0時を回るくらいになっている。こんな遅い時間まで友達といても怒られない。子供の頃はそういうことが嬉しいものだった。
教会には豚汁とおにぎりと、その他信者の寄付によるらしい果物や菓子類が用意されており、我々はそれらをバイキングのように好きに取り分けて食べながら談笑し、午前一時より前には解散となる。
友人と別れ、真っ暗闇の中を自転車で帰る。
さっき車で通った場所までわざわざ自転車を漕いで帰るのは変な気がしたものだ。

今、日付を跨いで、ちょうどクリスマスになったあたりである。
外からは車が往来する音だけが聞こえる。それも、徐々に少なくなってきた。
私が子供の頃、サンタクロースは来なかった。
我が家のプレゼントは親が買ってくる、という身もふたもないシステムで、私もそれをなんとも思っていなかった。
だいたい、うちの父親は会社に泊まり込みになっているか、痛飲して真夜中に帰ってくるかのどちらかだったので、家にいるところなどほとんど見たことがない。
その父親がクリスマスにはプレゼントを買って帰ってくるのだから、考えようによっては父親がサンタクロースそのものだったと言えるかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?