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世の中のほとんどの体験がアートだった

※この記事は2023年7/29に公開されたものです

どうもこんにちは、立て続けに記事を書いているGussanです。

本日は、最近ツイートしている「世の中のほとんどの体験がアートである」ということについて書いていきます。 もちろん今回もNFTの話とかネットワークの話につながります。


アートとは何か

アートの定義をしよう

いきなり有識者からしたら怒られそうな内容です。今回は個人の解釈の域を出ないので、有識者は指を咥えて読んでください。
以前、Twitterにて「アートの定義ってなんですか?」と聞いたところ以下のような回答をいただきました。ちなみに、僕はこういう質問をした時に回答をしてくれる方を愛してます。回答いただきありがとうございます🙏

アートの定義って何ですか?に対する回答集

どれも素晴らしい回答で、全てに間違いはないかと思います。アートの解釈は様々で、直接的に美術品や工芸品と定義しないところに皆さんの素養の高さがわかります。

本記事での僕のアートの定義は、大雑把に「琴線に触れるモノ・コト」と定義をします。モノやコトと表現してるので絵画だけでなく音楽や現象・状況にもこの定義は適応されるものとします。皆さんの解釈とも大きくずれるものではないかと勝手に思っています。

世の中のほとんどの体験はアート

早速タイトルの回収ですが、世の中のほとんどの体験がアートでできているように思います。この話をするにあたって、直近の僕の出来事のお話をします。

最近、頻繁に色々なイベントに行く機会がありました。音楽フェスやサッカー観戦、バスケ観戦、映画鑑賞などなどです。音楽フェスは数万人が入る規模のサイズで爆音で生演奏を聴き、めちゃくちゃテンションが上がりました。サッカー観戦やバスケ観戦は普段全くスポーツに興味がないのに、めちゃくちゃ応援してました。映画鑑賞は、一人なら見ない映画でしたが勧められて観た結果、めちゃくちゃ感動しました。

世の中、色々な体験ができますが、総じて素晴らしいものです。

これらの体験は間違いなく琴線に触れていますし、私の定義の中ではアートと呼べます。

では、なぜ私はこれらの体験に感動したのでしょうか?体験を少し分解してみましょう。

一例に音楽フェスを取り上げます。当時の音楽フェスを構成する要素を「テンション上がる度」と「遭遇のレア度」の2軸の分布を描画してみました。これはもちろん自分の尺度です。

音楽フェスを構成した要素の評価分布

遭遇率の低い「ジンジャエール」でテンションが上げられる自分のコスパの良さに驚いています。また、「渋谷」はよく行きますが、テンション全然上がらないので左下にいます。

このように一つの体験はいくつかの要素に分解することができます。逆にこれらの要素を個別で体験してもあまり感動しません。ジンジャエールが飲めるとなっても嬉しいですが、感動はしません。「爆音の生演奏」は、一人で見てもただの視聴行為になるかもしれません。

上記の要素が全て揃ったあの空間に自分が存在したことでライブフェスのえも言えぬ体験ができました。つまり、あらゆる体験はあらゆる要素によって構成された空間に自分が存在することで成立します。そして、その体験は非代替的であり、その非代替的な体験に人々は感動を覚えるわけです。そのスナップショットをアートとして呼ばずになんて呼ぶのでしょう。

この話は、先ほどのサッカーやバスケの観戦でも例外ではありません。普段、興味のないスポーツなのに、現地で飲み物片手に見ていると不思議と応援しているし、点が入った入ってないで一喜一憂するし、隣の人とも仲良くなってしまうわけです。この体験は間違いなく琴線に触れる体験でしたので、自分の中ではアートでした。

アートがアートでなくなる瞬間

これらの体験がアートでなくなる瞬間がきっとあります。それは自分がその体験に慣れ始めた時です。さっきの音楽フェスも毎日、同じ人が同じ環境で、同じ演出でやっていたら、流石にそのパフォーマンスに飽きます。

なのできっとアート的な体験にも波や寿命があって、自分の琴線に触れるタイミングと触れないタイミングがあるのです。

だから、美術品などのアート作品が古い歴史を経てもなおアートとして人々の琴線に触れ続けていることは、とてつもないことなのだと感じています。

アートの価値=ネットワーク

相も変わらず、ネットワークの話です。これまで自分が書いてきた記事にネットワークの話を盛り込んできました。

特にこの記事ではNFTの価値はネットワークにあるという話をしていますので、ぜひ読んでください。そして、いいねとリツイートを押してください。

タイトルの通り「アートの価値はネットワークである」と主張し、記事では「NFTの価値はネットワークである」と主張しています。ということは、NFTはアートということでしょうか。

僕はそう思っています。もちろんNFTにはユースケースが様々あるので一概には言えないかもしれませんが、そもそも価値は全てネットワークによって定義されていますので、あながち間違えていないと思っています。(細かいことは記事を読んでください)

絵画のようなアート作品は、これいいよね!とか最高じゃん!とか、そういう情緒的なところに価値がつきます。良さを感じる人が増えれば増えるほどネットワークは拡大していき、価値がついていきます。

ここで気づくこととして、先ほどの僕が体験したことも全く同じということです。これいいよね!って思っている人が集まって熱狂をしているわけです。オフラインでの熱狂はネットワークを凝縮したようなものなので、とてもエネルギッシュな空間になります。

大合唱とかコールレスポンスとかは特にパワーが凄まじく、その空間にいるだけで余裕で泣けます。それくらいネットワークの力は強いのです。

ユーティリティとは何か

ユーティリティの定義

さて、最近のNFT業界でよく聞くユーティリティについて考えてみましょう。色々なところでこれからのNFTは、ユーティリティだよね!と言われますがどうでしょうか。
ユーティリティの言葉自体が実用性を意味しますので、ユーティリティ付きNFTというのはそのNFTを持っていることで何か利用できたり、何かの権利が付帯されていることができるというものになります。
しかし、私の中でのユーティリティの定義は少し違います。実社会で何かしらに利用用途があるものがユーティリティであるわけではなく、価値のネットワークにフィードバックしない機能をユーティリティと定義します。なぜなら世の中の体験のほとんどがアートだからです。

よく言われるユーティリティに対する最近の気づき

最近の気づきですが、ユーティリティNFTとアートNFTが必ずしも対極にあるわけではないということです。
例えば、あるNFTを買うと〇〇のホテルに泊まる権利がつくとします。これは、NFT自体に権利が付与されているので、いわゆるユーティリティNFTと呼ばれるものです。しかし、私の中ではこの「〇〇のホテルに泊まる」という体験がアートになるか、ユーティリティになるかはまだ確定していません。なぜならその宿泊体験が劇的なもので私の琴線に触れるかもしれないからです。

よくユーティリティNFTの代表格みたいに登場するNOT A HOTELは、ユーティリティNFTではないというのが私の主張です。NOT A HOTELは、1年のどこかのタイミングで自分の宿泊日時が確定し、47年間全国各地の別荘地に宿泊する権利が与えられることでなんでもない日常を特別な日にするというとてもユニークなコンセプトが根幹にあり、この一連の体験を通したアートであることに気づきました。

この新しすぎるコンセプトがブランドを構築し、ネットワークを構築していきます。NOT A HOTELの宿泊体験をしたユーザーは、この体験を発信し、ネットワークにフィードバックします。つまり、購入者はただ宿泊権を買ってるわけではなく、NOT A HOTELによってパッケージングされた一連の体験だからNOT A HOTELの提供するNFTを購入しているのです。

ユーティリティとアートの差

ではユーティリティとアートには一体どんな差があるのでしょうか。一番の違いはネットワークにフィードバックするか否か、これだけです。そして、この差は何でしょうか。

ここで思い出してほしいのが先述したアートがアートでなくなる瞬間です。前までアートだった体験がアートでなくなる瞬間が来るとそれはユーティリティになります。アートで亡くなった時にこれいいよね?というネットワークへの発信が途絶え、フィードバックは消失するためです。

NFTで考えてみると、NFTを持つことで得られる実用性がネットワークにフィードバックしていないとそれはユーティリティになります。

逆にユーティリティがアートになる瞬間はあるでしょうか。それもあります。例えば、昔のテレフォンカードや切手。当時は珍しいものではなく、日常生活で使われていたはずです。この点で日常生活で使っているものをわざわざ発信したりというのは考えにくいのでユーティリティのはずですが、時が経ちレアリティがついたりしたことで、マニアの琴線には触れています。なので、昔のテレフォンカードとかに価値がつきます。

このように価値のネットワークにフィードバックするか否かでユーティリティとアートを行き来をしていくこともあります。

さいごに

今回は世の中のほとんどの体験がアートという記事を書きましたが、納得感はありましたでしょうか?僕は最近の自分の発言を反芻して納得感が増すばかりです。

最初にアートの定義をしましたが、価値のネットワークにおいては二つは結果的に以下のように定義してもいいかもしれません。

アート:価値のネットワークにフィードバックする

ユーティリティ:価値のネットワークにフィードバックしない

アートとユーティリティの行き来が発生するという観点もあまりないと思うので、意識して市場を観察していきたいです。

もし、何か議論の種がある人は引用RTしてコメントをください。Twitterのネットワーク効果の強みはRTにありますからね、リツイートでネットワークにフィードバックしましょうね。

Twitter: @0xguss3


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