母の四十九日に綴る。告別式から今日までの想い。
久しぶりの投稿です。
皆さんお元気されていますか?
沢山のご心配をおかけしましたが
わたしたち家族はなんとか支え合いながら
今日までやってきました。
母が亡くなった10月13日から
四十九日を迎える今日。少しだけ想いを書きます✍️
本当は、お通夜を終えて書いたこの投稿後に
お葬式後にも書こうと思ってたんですが
案の定、全ての喪主としての勤めを果たした
安心感や疲労感などで数日間は寝込んでおりました。
当たり前なんだろうけど、
こんなにも悲しくて辛くって
体力のいるもんなんだって実感した日でした。
少しだけ、SNSを振り返ります、忘備録。
10月12日に兄と会って実家に帰り
母の介護保険の更新手続きなどをしていて
これからどんな方向性で認知症と向き合うかどうか
自宅に帰してあげれる方法や時期など
いろんな話をして帰った深夜、
母は急変して生命を引き取りました。
あっとゆう間に、
命日から初七日、四十九日と
残酷にも時間は過ぎてゆく一方で
気持ちは置いてかれるばかりですが
それでも今できることを精一杯、
母のためにできているんじゃないかと思います。
この度はお通夜、告別式ともに
カメラマンうっつに依頼して
写真を撮ってもらっていました。
お葬式で写真?と思った人も多くないと思います。
ただ私たちが考えた今回のお葬式の意味。
”母に沢山の人に会ってもらいたい、笑顔で送り出したい
寂しい想いをしてきた母に楽しい思い出をつくりたい”
という想いから、結婚式のように華やかな場所になればと
イメージして開催をさせていただきました。
わたしたち家族の写真を飾ったり、
皆様からの寄せ書きによるメッセージを集めて
母の棺の中にいれました。
母の顔が写ってる写真たちは
家族での想い出用として大切に残していこうと思います。
こんな風に見えているんだなぁと
納品した写真をみて、見る度に涙ができますが・・・
生命が生まれた瞬間
生命を終える瞬間
どちらも素晴らしい時間で
だからこそ、悲しい気持ちだけじゃなく
しっかりと記憶に残したい。
どーしても、その日のことって
覚えていたくても思い出せなくなる
光景や表情だっていずれは風化していく。
だからこそ、この日の写真たちが
これからもずっとみんなの心の中だけでなく
振り返れることがすごく嬉しいです。
うっつ、大切な日を残してくれてありがとう。
兄がいながらも、妹が喪主をする理由。
どっちでもよかったんですよ、ほんとのところ。
ただ年功序列であることとか、男が基本だ。などの
固定概念をはずしたかったのもあるし
兄と相談しながら全て行っていきました。
喪主なんて名ばかりよ、結局は誰がやろうと想いはひとつ。
何度も何度も泣いてばかりの私。
こんなにも泣き虫だったかと自分でもびっくり。
とくに火葬場では、
もう震えがとまなくって泣き崩れてました。
甥っ子姪っ子たちが「さやかちゃん大丈夫だよ」と
両手を繋いでくれていました。本当に救われた。
自分の泣き顔なんて、ちゃんとみるのは初めてかもしれない。
別れ花も、直接オーダーして
準備してくれたよしのちゃんありがとう。
突然のお葬式で、右も左もわからない私に
丁寧に何時間も説明してくれた、公益社の担当者さん
当日含めて本当に気持ちの良いスタッフの皆様でした。
ありがとうございました。
「もうご縁がない、お世話にならないのが一番ですからね、お元気で。」
普通はまた宜しくお願いします。という言葉さえも
そうか、お世話になるということはご不幸が続くということか。
改めて沢山の学びを得た数ヶ月間でした。
この世の中からいなくなってしまっても、
魂として生き続けるといいます。
所説いろいろあって、天国や地獄など考え方はそれぞれですが
わたしたちは母が見守っていてくれていると信じて
これからも遺影や写真、骨壺など大切に日常の中で過ごしていき
母の帰る場所、池田の家を守っていきたいと思っています。
次は100日、一回忌など行事ごとは続きますが
変わらず母を想い、仕事に励み
恥じぬように精進していきます!!!!!
悲しい時は泣いて
楽しい時は笑って
生命ある限り、共に生きていきましょう。
おかぁさん、またね。ありがとう。
八重子の娘、早耶香より。
2022.11.30
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