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おかぁさんが天国に行った日、生命を終えた瞬間。

2022年10月13日、午前1時34分
母、中岳八重子が他界いたしました。

まず初めに生前お世話になった皆様には
本当ありがとうございます。

今の気持ちをまとまらないけど
少しだけ書いておこうと思います。

きっと今日にしか書けない
想いとか言葉とかあると思うから
また見返せるように、大切な記録。

ちょうど12日の定休日は
おにぃちゃんと池田市へ帰って
母の施設や銀行や市役所的な
作業をしてきました!

これから先のことを話ししたり
退院できた後のことも
施設での生活の再スタートも
実家に帰してあげたいね
そんな話も沢山してました。

現在、46歳の兄と37歳の妹
早生まれなので8歳の違いだけど

子供の頃は仲良かったけど
大人になってからは
一度ケンカしたり疎遠になったり
色んな時期を繰り返して

今はおかーさんのおかげで
また兄弟姉妹、手を取り合いながら
過ごすことが出来ているのも
やっぱり家族ってあたたかいなぁ。

そんなこんなで、
母のコロナからの肺炎を併発した
今の状況でしたが・・・

実は私自身が先月に
虫垂炎で手術したばかりで
なかなか更新できずでしたが
ちょうどご報告できたところでした。

おかぁさんの意識が戻ったと
奇跡的な嬉しい報告に
わたしも安堵感でいっぱいで
まさかこんなことになるなんて
想像もしてなかったです(´•ω•`)

そしてちょうど、
おかーさんの昔の写真とかを
upしたりして想い出振り返ったあとの
夜に急な出来事でした。

深夜0:40の着信が何度も鳴り
病院の名前を見た時には、
異変があったことはすぐ気づきました。

恐る恐る電話にでると
「八重子さんの心臓の動きが悪いです、延命の話は聞かれてますか?どうしますか?」

またこの選択、振り出しに戻る。
頭が真っ白になる。
すぐには頭が理解できない。

延命措置をお願いしたのちに
すぐ来てほしいと言われ
送ってもらえて最短で到着。

病室にはいった瞬間、
心臓マッサージをされる母
モニターには0の文字が...

理解できるわけもなく
ただ立ち尽くしてしまった私。

それでも後悔しないため
「手を握ってもいいですか?」
と声を振り絞って母に触れる
まだ温かい、命はここにあるのに
どうか頑張ってと声をかける
それでも叶わない。

何度もトライしていただき
これ以上は難しいです
終了してもいいですか?と
医師に声をかけられる。

「はい、ありがとうございました」
そこからは死亡確認が行われ
"1:34ご臨終です"
テレビの世界の光景を目の当たりにしました。

あと5分遅かったら
母の最後の瞬間には立ち会えなかった
いろんなことが重なって
きっと私に会うために
頑張ってくれたんだと思う
辛い治療を乗り越えて
意識を戻したおかーさんに
もう一度会いたかった
叶わなかった、悔しいなぁ。

それでも、よく頑張ったね
お疲れ様とありがとうと
大好きだよを沢山伝えました。

まだ体温の残る母と
ふたりきりの時間を過ごし
抱きしめました。

前日、三重から大阪に来て
帰ったばかりの兄は
ちょうど深夜寝ていました。

何度かけても繋がらず
奥さんにも何度も鳴らしましたが
どうやっても三重からは
間に合うことはできなかった。

朝までゆっくりできることもなく
すぐに葬儀屋さんを探して
問い合わせんするところから。

全く準備もしていなかったので
何もわからないところから
沢山の不安点を取り除いてくれ
優しく親身になってくれた
会社にお願いすることにして
早朝にお迎えにきました。

お葬式までに家で過ごすことが
できるという話を聞き
お願いできるところを探し
そこから母と一緒に車に乗り
願いだった自宅へ帰ることに🚙

1年2ヶ月前、去年の7月
認知症が発覚して
病院や施設での生活になり
やっと我が家に帰れた母。

「おかえり、まってたよ」
おうちにいれてもらえてから
とても穏やかな顔に
表情が変化したのを忘れない。

本当に病院では苦しそうで
それでも家の布団の上では、
不思議と笑っていて
いつもと変わらない寝顔で
今にも起きそうです。

帰宅後は、お通夜やお葬式の
日程や準備の打ち合わせが始まり
無睡のわたしは頭が朦朧としながら
母の喜ぶ式典はなにかと
必死に考え決めました!!!

とっても素敵な
お別れになりそうなので
また明日にでも
改めてお知らせさせて下さい。

兄家族も三重から昼過ぎ到着
奥さんや息子と娘と4人
おかあさんと対面できました。

本当に眠ってるみたいで
笑ってるねと話してました。

辛そうな顔を見たのは
私だけだから噛み締めて
忘れないようにしよう。

そして、色んな話をして
家族のんびり過ごして
夜を迎えることが出来ました。

夜から大切なイベントの
発表もありましたが、
私がいなくても迷惑がかからないようにと
スタッフみんなが協力して
配信も続行してくれました!

家族団欒してみたよ
母の側で私を誇りに思う
そして兄達も笑いながら
昔のTVのブラウン管みたい
懐かしい記憶が蘇る。

しばらくは池田市で
母と一緒に過ごします。

みんなほんとに
いつもありがとう。

今夜は母と共に
一つ屋根の下で久々に
眠れる日です。

よく頑張ってくれたから
もう無理しなくていいよ
ゆっくり休んでね
ありがとう、ありがとう。


娘の早耶香より愛を込めて。

二千二十二年十月十三日
中岳八重子 七十歳 死去

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