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西洋医学に「未病」は無いの?

漢方医学の世界には「未病」という概念があります

……という謳い文句が、漢方医学の本には頻繁に登場します。


「未病」とは、簡単に言えば「今はまだ病気という程ではないけど、このままいくと病気になるよ」という状態のこと。

漢方医学は「病気の状態」「健康な状態」を同一平面上に捉える主義を持っていますから、「未病」は漢方医学の根幹に繋がる思想でもあります。

ついでに言えば、「医食同源」という言葉もまた漢方由来ですが、ここにも共通した思想が垣間見えるでしょう。

「健康」「病気」が同一平面上のものならば、日常的に口にする「食」病気の際に口にする「薬」にも本質的な区別は無いと言えるからです。


ところで、「未病」は本当に「漢方医学に特有の概念」なのでしょうか。

今回は、「未病」という概念について、漢方医学から科学的医学まで横断しつつ考えてみたいと思います。

なお、「漢方医学」や「東洋医学」と対比して「西洋医学」という呼称が普及していますが、私はこの呼称に欠陥があると考えている(※1)ので、この記事では主に「現代医学」とか「科学的医学」という呼称を使います。

※1 「漢方医学(東洋医学)」と現代の標準医学を対置する際に「西洋医学」という呼称を使う人は多いです。これにはかつての「蘭方医」が重ねられているのかもしれません。
 確かに「現代の科学的医学の発祥」は欧米ですが、「20世紀以降の科学的医学」は世界中の研究者によって築き上げられたものです。その中には志賀潔や高木兼寛のような日本人もいます。その意味で、これらの総体である現代医学を「西洋の医学」とみなすことは不適切だと考えます。
 加えて、「西洋医学」という場合に私たちは「西洋の伝統医学の中で定着しているがエビデンスに乏しく、世界規模では定着していない医療(ホメオパシーや不適切な瀉血など)」を含めて考えません。
 つまり、対比構造として意識されているのは「東洋発祥か西洋発祥か」ではなく、「伝統的医学か科学的医学か」が本質であると考えられます。
 こうした思想から、本記事中では「西洋で生まれてから世界中に広がった科学的思考を重視する医学」を、なるべく「科学的医学」と呼びます。

注1


最も認知されている「未病」?

現代において、「今すぐ何か具体的に困るわけではないが、このまま行ったら重大な体の不調に繋がる状態」と言えば、何が思い浮かびますか?

「生活習慣病」がその第一候補ではないでしょうか。


糖尿病の歴史的経緯を見ると、この性質は顕著です。

「糖尿病」という疾患名を見れば分かるように、この病気は古くは「尿の中に出てくる糖(尿糖)」が特徴と捉えられていました。

病状がさらに進行すると、感覚障害・失明・腎不全といった症状を生じます。

従来はこうした「尿糖」や「症状」が糖尿病診断の手がかりだったわけですが、現代では糖尿病は採血で診断される疾患となっています。

これは科学の発展によって「症状が出る前段階」を捉えられるようになったからです。

現在では、機能障害が出る前に血液検査等で糖尿病予備軍を発見し、早期から生活習慣の改善や投薬などの介入を行うことが常識となっています。


血圧やコレステロールに関しても、およそ同じような事情があります。

ナンタラの検査値が多少高かったところで「すぐに本人が困るような事」はホトンドありませんが、放置せず生活改善や治療をしましょうという話になります。

つまり「そのままにしておくと心筋梗塞や脳卒中といった病気につながるから」という理屈で介入するわけですね。


こうしてみると、生活習慣病などは「未病」と呼んでも差し支えない属性を備えているように思われます。

違うところと言えば、科学的医学はこの段階にも「高血圧症」や「糖尿病」といった診断名を与えたことです。

これによって科学的医学は、「まだ病気ではないのだから上手くカテゴライズできなくて当然だ」などという消極的姿勢を取らず、先に進むことができました。


「性格」は果たして「未病」か?

しかし「疾患の潜在的リスクだが病名を与えられていない性質」もあります。


アメリカの医師フロイドマンとローゼンマンが提唱した、「タイプA」という性格傾向があります。

彼らが挙げた「タイプA」の特徴には、「焦燥感」「攻撃性」「出世欲」のような項目に加え、「努力家」「時間を守る」といった「一見すると良い性質」も含まれているのが興味深いところです。

つまり、「タイプA」そのものは社会的に良いとか悪いとか一面的に言える類のものではなく、通常は「個性」「性格傾向」とみなされる範疇のものです。

「上昇志向が強くて努力を惜しまないが、自分にも他人にも厳しく、いつも何か時間に追われていて、今ひとつ柔軟さと寛大さに欠ける」という感じの人、皆さんの周りでも何人か思い当たるでしょう。

皆さんの周りのその人たちも、よほどその性格が極端でない限りは、特にそれを「病気」と見なされたりはしていないと思います。

むしろ、この性格によって社会的成功を収めている人も少なくないはず。


しかし、この「タイプA」に当てはまる人たちは、一部の病気の発症率が有意に高くなるらしいのです。

「いかにもストレスが多そう」な性格ですから、うつ病のような精神疾患の発症率が高くなることは容易に納得できます。

興味深いのは、一部の心疾患を発症しやすくなるという疫学データです。

この「タイプA」は疾患とは認められていませんし、治療すべき対象というコンセンサスを得るには至っていません。

しかし科学的な医学の世界では、「タイプA」は今や「一部の心疾患のリスク因子」として広く知られています。


科学は「未病」を無視していない?

このような例を見てくると、「科学的な医学には未病に相当する概念が無い」というのは、どうも偏った意見ではないかと思われます。

少なくとも「病気として本人に不都合が生じるほどではないが、そのままにしておくと重大な病気に繋がりやすい状態」というものは、科学の世界でも関心を集めてきたと言えるでしょう。

むしろ、科学的医学は「まだ病気でない状態」も良く分析してラベリングしてきたからこそ、「『まだ病気でない状態』全般を非得意的に指す用語」を必要として来なかったのでは?……という気もしてきます。


などと色々考えながらネットサーフィンしていたところ、「日本未病学会」と言う不思議なページに行き当たりました。

この学会自体についてはよく知らないので何とも言えないですが、このページの「未病」の概念は良くまとまっていると思いました。


この内容をまとめると、以下のように言えると思います。

  • 東洋医学でも西洋医学でも「明らかな病気の状態」は「治療すべき対象」である

  • 東洋医学にも西洋医学にも「明らかな病気ではないが、病気の素因を持っている状態」の概念がある

  • 東洋医学と西洋医学で、「素因を持っている」と判断する基準は一致しない

東洋医学と西洋医学の両方に中立な立ち位置を守るなら、これが最大公約数的な見解ではないかと。


最後に申し添えておきますと、科学的医学は「まだ病気ではない状態」をさらに細分化したことで、

「こういう状態を放置しておくとこういう病気の発症率がこのくらい上がる」
「それに対してこういう介入をすることでこのくらい予防できる」

といった事実を続々とデータとして集積しつつあります。

科学的医学が予防医学を推進している一方で、東洋医学の「未病」はまだエビデンスを論じられる水準までデータが集まっていないようです。

「東洋医学の未病は本当に病気を事前に検出できているのか」
「未病に対する介入は本当に病気の発症を予防できているのか」

といった疑問については、今後の検証を持たなくてはならないようですね。


うーん、漢方も科学も奥が深いですね。

ということで、今日はここでおしまい。

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