食人部族とアルツハイマー病
「人間を食べる部族が発症する、特殊な脳の病気がある」
……という話を聞いたことがあるでしょうか。
それなりに有名な話なので、どこかで聞いたことがある人は多いかもしれません。
しかし、日本国内でもこの病気の発症があることはご存知でしょうか?
さらに、その病気が「アルツハイマー病」の解明にも関わっている……となると、これはなかなか意外な話でしょう。
今回は「プリオン」というキーワードのもとに、「クールー病」から「アルツハイマー病」にまで至るお話をしたいと思います。
意外な病気の繋がりには、奥深い科学的発見が潜んでいます。
フォレ族のクールー病
パプアニューギニアのフォレ族の間に、「クールー(Kuru)」という病気がありました。
この「クールー」という名は、フォレ族の言語で「ふるえる」を意味する語に由来するようです。
この病気に罹った人は、体のふるえ(小脳失調症状)や、異常な泣き・笑い(感情失禁)を呈するようになり、やがては寝たきりになって死に至ります。
クールーは当時のフォレ族の死因の半分以上を占めていたというのですから壮絶です。
当初この病気は呪いや魔術によって引き起こされると広く信じられていましたが、20世紀の科学によって解明されました。
「クールー病」はヒトからヒトへと感染症のように伝播する疾患であり、その伝播の主な要因は「クールー病の脳を食べること」だったのです。
フォレ族には弔いの儀礼として、遺族が故人の「肉体を食べる」風習がありました。
では、「クールー病にかかった死者の肉体」を食べたことで、何らかのウイルスや細菌が感染したということでしょうか?
なんと、クールー病の媒介となっていたのは「タンパク」だったのです。
「タンパク」は生物の体や細胞を構成するパーツとなる分子ですが、それ自体は生物でもなければ細胞でもありません。
言うなれば、「物質の一種」に過ぎません。
クールー病は、特殊なタンパクが人から人へと(食人によって)伝播する、珍しい疾患と言えます。
その後、別の研究で発見されていた「クロイツフェルト・ヤコブ病(Creutzfeldt–Jakob disease:CJD)」や「牛海綿状脳症(BSE)」も同様に「伝染するタンパク」によって発症することが明らかとなりました。
そして、こうした「伝染するタンパク」を原因とする疾患は「プリオン病」と総称されるようになりました。
プリオン病とは
少し基本的な話に戻って、ここで「タンパク」について話しておきます。
タンパクは、動物の身体を作る主成分の一つです。
(タンパク質とも言いますね)
「タンパクが豊富な食事」と言うと、肉や魚が挙がりますね。
タンパクは巨大な分子ですが、その分子構造には数えきれないほどのバリエーションがあります。
つまり、栄養素としてはひとつの「タンパク」という名前でまとめていますが、その中には異なる構造を持った様々な種類の分子が属していることになります。
プリオン病では、その名の通り「プリオン」と呼ばれるタンパクが主役となります。
どんな健康な人の脳にも「正常なプリオンタンパク」が存在します。
プリオン病は、「異常なプリオンタンパクが脳内に蓄積する」ことで発症します。
この仕組みを説明しましょう。
正常な人体に存在するプリオンタンパクを「正常型」と呼びましょう。
これに対し、CJDなどプリオン病で蓄積するプリオンタンパクを「異常型」と呼ぶことにします。
「正常型」と「異常型」のプリオンは、それぞれ分子構造が非常に似通っています。
「異常型」の持つシンプルかつ厄介な性質は、「正常型を異常型に変換する能力を持つ」ということです。
さて、正常型が豊富に存在する健康な人の脳に、わずかでも異常型が混入したら、何が起こるでしょうか。
異常型と接触した正常型が異常型に変換され、その新たな異常型が周囲の正常型をまた異常型に変換して……という連鎖が広がっていくことになります。さながらゾンビのようですね。
このようにして連鎖的に生じた異常型プリオンは、生体内の分解酵素が作用しにくいため蓄積していきます。
すると、脳の中には「何も良いことをしないのに、ゴミとして捨てることもできない」という異常型プリオンが蓄積し、さながら「ゴミ屋敷」のようになっていきます。こうなると脳は正常な機能維持が出来なくなり、やがて機能障害や死滅に至ります。
こうしたミクロの脳細胞の死が広がっていくことで、脳全体がじわじわと壊されていき、「クールー病」で見られるような運動症状や認知機能障害が出現してきます。そして生命維持に支障を来すレベルまで脳細胞が破壊されると、個体レベルの死に至ります。
要約すると、異常型プリオンは
正常型プリオンを異常型に変換する
分解されずに脳に蓄積する
という2つの性質を持つタンパクであり、この性質によってまるで細菌やウイルスのように「自己増殖」を繰り返し、結果として異常プリオンを摂取した個体を破滅させます。
硬膜移植によるプリオン病
そんなプリオン病ですが、実は日本でも過去に伝染によって発症したCJDの例が100例以上報告されています。
これは手術用に輸入された「凍結乾燥硬膜」という素材が原因でした。
頭蓋骨の内側には、脳を包む「硬膜」という膜があるのですが、頭蓋骨陥没など大きな損傷でこれが破れてしまった場合に、これを何らかの素材で「つぎはぎ」する必要がありました。
昔はこの用途に丁度良い素材が無かったので、「死んだ人から取り出した硬膜」を加工して患者に使っていたわけです。
この硬膜に「異常型プリオン」が混入したことで、脳外科手術を受けた患者にCJDが伝播する事例が発生しました。
これが日本でも問題となった「医原性クロイツフェルト・ヤコブ病」です。
1980年頃までの医学水準では「伝染するタンパク」などというものは想像も出来なかったわけで、この凍結乾燥硬膜についても「細菌やウイルスを殺す処理をしていれば十分」だと考えられていたのでしょう。
現在ではこの原因となったヒト由来の硬膜素材は全面的に廃止され、手術で硬膜をつぎはぎする必要があるときには人工合成された新素材の膜が使用されています。
同様に「成長ホルモン」も、死体の脳から取り出した成分を患者に投与していた時代がありました。
ここでも「医原性CJD」が発生し、問題になりました。
こちらも、事件の経緯が明らかになると同時にヒト由来の成長ホルモン使用は禁止され、新規の伝播は阻止されるようになりました。
献血をしたことがある方ならば、事前の問診の中に
「ある時期に英国に長期滞在したことがありますか?」
というちょっと変わった項目があることをご存知かもしれません。
実はこれも「医原性CJDの対策」の一環です。
1980年頃から2000年頃、英国ではプリオンによって汚染された牛(ウシの病気としては「牛海綿状脳症(BSE)」という名が付いています)の肉が出回っていました。
このプリオンで汚染された牛肉を食べた人が、知らず知らずのうちに献血してしまうと、輸血を介してさらなるプリオンの伝播が発生してしまいます。
ウシ(BSE)→ヒト(変異型CJD)→ヒト(医原性CJD)
という経路で伝播したとみられるCJDの例が、実際に報告されています。
この献血時の質問項目は、プリオン病に対する予防措置なのです。
このような科学的解明と、それに対応した医療政策の取り組みにより、CJDが新規に伝播する事例は世界中で限りなくゼロに近づいています。
冒頭で紹介したフォレ族の食人も近年では全面的に禁止されています。
現在日本で新規に発症するCJDは「特発性」と呼ばれるもので、「特にどこからも伝播したわけではないが何故か発症してしまった」という極めて珍しいパターンがほとんどです。ざっくり言って100万人に1人くらい。
こういう「特発性CJD」は、何らかの偶然によって異常型プリオンが正常人体の中で形成されてしまうことで生じるのだと私は想像していますが、そもそもが極めて稀な現象なのでよく分かっていません。
「100万人に1人」という発症率は低く見えますが、言い換えれば国内でも毎年100~200の新規発症者がいることになるので、大きな病院であれば「たまに見かける」疾患ではあります。
"医原性"アルツハイマー病
さて、ここで前回紹介した「医原性アルツハイマー病」に話が戻ります。
前回の記事で、「特定の患者から抽出されたホルモンを投与された子供たちが、大人になってから若年性アルツハイマー病を発症した」という事例を紹介しました。
この事例は「医原性CJD」と非常に似通ったシナリオを持っていることが分かりますね。
アルツハイマー病の本質とされている「アミロイドβ」と「タウ」は、いずれも「タンパク」です。
アルツハイマー病は、CJDと同じく「プリオン病」なのでしょうか?
現在、多くの専門家はそうだと考えています。
アルツハイマー病で蓄積する2種類の代表的なタンパクは「アミロイドβ」「タウ」ですが、専門家が特に「プリオン」的な性質を持っていると考えられているのは「アミロイドβ」の方です。
動物実験ですが、「異常型のアミロイドβ」を投与したネズミの脳で「異常型のアミロイドβ」が異常に蓄積するという現象が報告されました。
投与した以上のアミロイドβがネズミの脳内に蓄積していたという事実は、紛れもなくそれが「自己増殖」したことを示します。
(プリオンの増殖は「生み出す」のではなく「変換する」ことで実現するので、細菌の増殖とは少し意味合いが異なりますが)
「異常なアミロイドβが正常なアミロイドβにどのような作用を及ぼして異常に変化させるのか」については精力的に実験が進められ、こちらも解明されつつあります。
まとめると、アルツハイマー病の原因となるタンパクは、
正常タンパクを異常型に変換する能力を持ち
脳に蓄積して神経細胞に害を及ぼす
と考えられています。
これはまさにCJDで見られた異常型プリオンの性質そのものですね。
ゆえに、この考え方はアルツハイマー病における「プリオン仮説」と呼ばれています。
「伝染するタンパク」という発見から出発して、「アルツハイマー病」の本質まで話が巡ってきました。
現在最先端のアルツハイマー病治療薬開発においても、「異常なアミロイドβを除去する」あるいは「異常なアミロイドβが増殖するのを防ぐ」といったアプローチは有望視されています。
今年から解禁されたアルツハイマー病の治療薬「レカネマブ」も、「蓄積し始めているアミロイドβを除去する」という仕組みでアルツハイマー病の進行を抑え込むものです。
いかんせんレカネマブはアルツハイマー病を完全に「治療」することは出来ませんが、こうした「仕組みの解明」と「治療薬の開発」という努力の繰り返しによって、今後さらに有力なアルツハイマー病治療薬が登場してくることを個人的には期待しています。
確認テスト
以下Q1~Q3の各文について、誤りがあれば修正しなさい。(解答・解説は下にあります)
Q1: 「クールー病 Kuru disease」は死体の脳に感染したウイルスを摂取して発症する疾患である。
Q2: 現在日本でクロイツフェルト・ヤコブ病の新規発症例は見られなくなった。
Q3: 現在発症しているアルツハイマー病の多くは感染によって発症していると考えられている。
以下に解答と解説があります。
解答・解説
A1: 「クールー病 Kuru disease」は死体の脳から異常型プリオンを摂取して発症する疾患である。
本文で述べた通り、「プリオン」はウイルスや細菌ではなく「タンパク」です。「タンパクが個体間で伝播し、伝播した先で自己増殖する」という点が重大な発見だったのです。ダニエル・カールトン・ガジュセック(Daniel Carleton Gajdusek)は、「クールーは罹患者の脳を食した人間に伝播する」ことを突き止めて1976年のノーベル生理学・医学賞を受賞しましたが、彼の研究ではその正体は「何か従来のウイルスとは異なる病原体だろう」という結論に留まっていました。その後に、プリオンタンパクが病原性を媒介する本体であることを示したのはスタンリー・ベン・プルシナー(Stanley Ben Prusiner)で、彼は1997年のノーベル生理学・医学賞を受賞しました。
A2: 現在日本では特発性クロイツフェルト・ヤコブ病が年間100~200例ほど報告されている。
「特発性」とは「どこかからの伝播など特定できるような原因を持たない」という意味です。(要するに原因不明と言ってるようなものですが)
A3: 現在発症しているアルツハイマー病の多くは特定の原因や背景因子を持っていない。
極めて特殊な事例として、医療行為によって伝染したアルツハイマー病の報告は存在します。とはいえ、アルツハイマー病の大半を占めるのは「特にこれといった原因を持たない」、つまり「特発性」と言うべき症例です。「脳内でどのように異常なアミロイドβが蓄積していくのか」はかなり解明されてきましたが、「そもそも最初の異常なアミロイドβはどこから来るのか?」はいまだ仮説の域を出ない段階です。
【参考文献】
浜口毅, 山田正仁. 医療行為によるアミロイド β タンパク質病理の個体間伝播. NEUROINFECTION. 2020;25: 65.
山田正仁, 浜口毅. 18. 伝播からみたプリオン病と神経変性疾患. 日本内科学会雑誌. 2019;108: 1979–1984.
Centers for Disease Control and Prevention (CDC). Update: Creutzfeldt-Jakob disease associated with cadaveric dura mater grafts--Japan, 1979-2003. MMWR Morb Mortal Wkly Rep. 2003;52: 1179–1181.
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