見出し画像

世にも珍しい「医原性アルツハイマー病」の報告

「アルツハイマー病」という名を聞いたことがない人はいないでしょう。

しかし、「医療行為によって発生したアルツハイマー病」の事例があることはご存知でしょうか?

しかもそれは、ヒトからヒトへと”伝染”したのではないか……と見られています。


今回紹介するのは、一見すると「単なる奇妙な症例報告」です。

しかし、実はそこにアルツハイマー病の本質とでも言うべき事実が隠れています。

この症例が示すアルツハイマー病の本質は、近年解禁された「アルツハイマー病治療薬」とも実は無関係ではありません。


事前に断っておきますが、ここに紹介するような「アルツハイマー病のヒトからヒトへの伝染」は、極めて特殊な条件下で発生した例外的な事象です。
日常生活や一般的な医療行為の範囲では、アルツハイマー病はヒトからヒトへ伝播するおそれはありません。
アルツハイマー病患者への偏見や差別へと繋がらぬよう、適切なご理解をお願い致します。




「アルツハイマー病」って何?

はじめはお約束の基礎知識から。


Q:「アルツハイマー病」とは何でしょうか?


A1:「高齢者がボケる現象のこと?」

A2:「記憶障害になる脳の病気のこと?」


残念。的を外した回答です。

それは「アルツハイマー病型認知症の症状」であって、「アルツハイマー病とは何か?」に対する解答ではありません


医学的に言う「アルツハイマー病」とは、「アミロイドβタウという物質が、異常な凝集体として脳内に蓄積する脳疾患」のことです。

「アミロイドβ」「タウ」という物質が何なのかは、ここでは一旦置いておきましょう。

とにかく、医学的な「アルツハイマー病」とは、「顕微鏡で脳を調べた時に、脳内に一定の凝集体(簡単に言えば『脳のゴミ』です)が見られる」ことで定義されています。


アロイス・アルツハイマー(Alois Alzheimer)は、アルツハイマー病患者の脳に見られる顕微鏡的な異常を報告したからこそ、この病名に名を残すことになったのです。


「認知症」とはどう違う?

ここで、よく聞かれる「認知症とアルツハイマー病って違うの?」という質問も消化しておきましょう。

よく混同される概念ですが、これらは「定義する際に見ている現象のレイヤーが違う」というのが端的な解答になります。


「認知症」とは「原因を問わず、認知機能に一定の低下傾向が見られ、生活に支障をきたしている」という状態を指します。これは前回の記事で言う「症候診断」ですね。


「アルツハイマー病」と「認知症」という2つの概念の関係は、「胃潰瘍」と「腹痛」の関係に似ています。

「その臓器にどんなミクロの異常があるか」によって定義されるのが「アルツハイマー病」や「胃潰瘍」といった病名であり、「結果的にそれがどんな不具合として問題化しているか」を言い表すための概念が「認知症」や「腹痛」といった症候概念であると言えます。

そして、「アルツハイマー病によって生じる認知症」を言い表すための用語として「アルツハイマー型認知症」という病名があります。


「じゃあ、祖父が物忘れ外来で『アルツハイマー病』と言われたが、あれはデタラメなのか?

と気になる方もいるかも知れません。

この疑問は部分的には妥当で、部分的には理解不足があります。


アルツハイマー病については世界中でデータが積み上げられておりまして、「脳を顕微鏡で見なくてもアルツハイマー病を予測できる方法」も世界中で研究されてきました。

そうしたデータから、現在では「こういう臨床経過のパターンで、こういう認知機能障害パターンなら、高確率でアミロイドβとタウの蓄積が原因と予測される」という定式化がなされています。

こうした「臨床診断」は(適切に運用されれば)ほとんどの症例で「アルツハイマー病」を予測できるとされています。

ですから、適切な診察と診断能力があれば、脳を切り出してこなくても「ほぼアルツハイマー病」と予測できる場合が多いのです。

それでもやはり病気の本質を探る上では、「脳の中でどんな異常が起きているか」という観点が大原則であり、その他のあらゆる検査はこれを間接的に予測しているに過ぎない、と弁えておく必要があります。


「アルツハイマー病」とは、「アミロイドβ」と「タウ」という物質からなる「脳のゴミ」が蓄積する病気のこと。

ひとまずこれだけ覚えて先に進んで下さい。


「医原性」アルツハイマー病の症例報告

本題である「医原性アルツハイマー病」、すなわち「医療行為が原因となって起こったアルツハイマー病」の症例報告を紹介しましょう。


死体由来の成長ホルモンを使用した治療

現在では行われていない治療法ですが、かつては成長ホルモンが欠乏している子供に対して、ヒトの死体から抽出した成長ホルモンを投与して補充するという治療が行われていました。

成長ホルモンは脳の一部(下垂体という部位)で作られるため、この人口精製ホルモンは「死体の脳」を原料としていました。

この手法が使われなくなった理由は、人工成長ホルモンによって「クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)」という脳疾患が伝染することが判明したためです。

人工成長ホルモンの原料となる脳がCJDに感染していたため、ホルモンを投与された子供たちもまたCJDに感染してしまった……という事例が多発したのです。

このため「死体由来成長ホルモン」の使用は1980年代に廃止され、現在は実施されていません。


死体由来成長ホルモンによるアルツハイマー病

Banerjee (2024)らの論文では、「死体由来成長ホルモン」製剤が投与された8名が後にアルツハイマー病を発症したと報告しています。

提示されているデータでは、8名のうちほとんどが38〜49歳で記憶障害を含む明らかな認知機能障害を発症しています。通常のアルツハイマー型認知症のボリュームゾーンが70代以降であることを踏まえると、かなり「不自然な」年齢で発症していることが分かりますね。

特筆すべきことに、この8名のうち4名については、この研究チームが以前の論文(Puro, 2018)で「アミロイドβやタウに異常がありそう」と判定したロットの製剤が使用されていたことが確認されました。

※カレーを一つの鍋で煮込んで数人分に分配するように、薬もある程度の量で一回に作ったものを複数の瓶・錠剤として分配することで「一回分」の薬剤として完成します。この時、「同じ鍋で煮込んだカレー」に当たるのが「ロット」あるいは「バッチ」と呼ばれるものです。同じロットの製剤は原則として原料や成分が同一となります。予防接種などを受けた時、小さな長方形のシールを紙に貼られたかもしれませんが、あれにも「ロット番号」が記されています。

注記:神崎


なぜアルツハイマー病が伝染したのか?

この症例報告では、「アルツハイマー病の脳から抽出された成分を別の患者に治療として投与する治療によって、アミロイドβやタウ死体から生きた患者へと”移植”されてしまったのではないか」と考えられています。

だとしたら、これは上で述べた「医原性CJD」の伝染と同じことが起こっている……という見方もできます。


これを包括的に考察するためには、近年アルツハイマー病研究の世界で盛り上がっている「プリオン仮説」という考えを知ることが必要となります。

次回はこの「アルツハイマー病とプリオン仮説」についてお話したいと思います。


なお、最後にもう一度申し添えておきますが、今回紹介した「医原性アルツハイマー病」は、現在では実施されていない特殊な医療行為のみで観察された特殊な現象です。一般に、日常生活の中でアルツハイマー病が人から人へ「感染」することはまず考えられません。
こうした科学的事実を十分承知いただき、認知症患者への差別に繋がらぬよう十分にご配慮下さい。



確認テスト

以下Q1~Q3の各文について、誤りがあれば修正しなさい。(解答・解説は下にあります)


Q1: 「アルツハイマー病」とは「記憶障害のある認知症」のことである。


Q2: 死体から抽出された成長ホルモンの投与が行われなくなったのは、「医原性アルツハイマー病」が問題となったからである。


Q3: Banerjeeらの報告では、医原性アルツハイマー病は原因となる製剤の投与から10年以内で発症している。


以下に解答と解説があります。




解答・解説


A1: 「アルツハイマー病」とは脳組織に一定の異常物質の蓄積を伴う脳疾患のことである。

 本文で述べたように、「アルツハイマー病」は「顕微鏡で脳を観察した時の異常」によって定義されています。なお、このように「病気のある臓器を顕微鏡で観察した時にどんな異常があるか」を体系化する医学分野は「病理学」と呼ばれています。アルツハイマー先生は今で言うと「病理学」の功績によって名を残したわけですね。


A2: 死体から抽出された成長ホルモンの投与が行われなくなったのは、「医原性クロイツフェルト・ヤコブ病」が問題となったからである。

 クロイツフェルト・ヤコブ病については次回の記事でそれなりに紹介したいなと思っています。ひとまず名前だけでも覚えて帰って下さい。


A3: Banerjeeらの報告では、医原性アルツハイマー病は原因となる製剤の投与から30~40年を経て発症している。

 感染症などで「感染してから発症するまでの期間」のことを「潜伏期」と呼びます。これになぞらえるならば、「アルツハイマー病は非常に長い潜伏期を持っている」と言えるでしょう。これだけ長いと「本当に製剤の投与と因果関係があるのか?」という指摘も出てきそうですが、原著論文の中では色々な可能性を考慮した上で「製剤の投与が原因であると推定される」という根拠を述べています。気になる方は論文に挑戦してみて下さい。




【引用文献】

  • Banerjee G, Farmer SF, Hyare H, Jaunmuktane Z, Mead S, Ryan NS, et al. Iatrogenic Alzheimer’s disease in recipients of cadaveric pituitary-derived growth hormone. Nat Med. 2024;30: 394–402. doi:10.1038/s41591-023-02729-2

  • Purro SA, Farrow MA, Linehan J, Nazari T, Thomas DX, Chen Z, et al. Transmission of amyloid-β protein pathology from cadaveric pituitary growth hormone. Nature. 2018;564: 415–419. doi:10.1038/s41586-018-0790-y

【参考文献】


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?