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建築学生がまちづくりを学ぶ意味

こんにちは、ユースケです。

最近少し思うことがあります。それは何のために建築学生はまちづくりを勉強しているのかということです。

就職するため。
論文を書くため。
設計をするため。

色々あると思います。

最近少し悩むことがありました。それは教授の方からの一つの助言でした。

「とにかく地域活動をがんばっている人にヒアリングを行って、その結果何も提案ができなくてもいい。それも立派な良い論文だから。」

確かにそう思う。でもそうじゃない。


私は、まちづくりを学ぶ意味は良いところに就職するためでも、良い論文を書くためでもないと思います。それらはあくまで仮の目標でしかなく、本質はもっと奥にあるものだと思います。

私は、まちづくりを学ぶ意味は自分自身がまちづくりを己の身で行うことにあると思います。ここでいう己の身で行うということは、決して自分が地域活動を開催することだけを指している訳ではありません。例えば、地域活動を行いたいと考えている人の後押しをしたり、顔も知らない人がまちづくりをできるように本を書いたりすることも含めています。

論文をつくることは非常に意義のあることです。未来の人にとっての大きな知見や記憶、記録になります。しかし、肝心の何気ない日常を生活している人がその論文を見ることはありません。まちづくりはそのような日常を暮らしている人のちょっとした日常の変化を加えることだと思っています。つまり、まちづくりの対象である人が何も参考にしない成果物をつくるだけで終わってしまう学生生活はなんだかもったいないような感覚がします。

就職をするためにまちづくりを学ぶことは良いことです。そうして、大きな企業に入り、少しでもいいから地域のための建築をする。
しかし、微々たるものです。

せっかく僕らは多くのことを学び、どのようにすればまちづくりが上手くいくか分かる程の立場にたてるはずなのに、何も行動しないのはなぜなのでしょうか。


自分は今空き店舗を活用したプロジェクトを行なっている最中です。実際に成功するかは全くわかりませんし、地域の人にとってどれだけの影響があるかは全くわかりません。そんなことはわかりきっています。


でもきっとこの経験は何事にも変え難い知識になるでしょう。そして記憶に、意欲に変わるでしょう。
そう信じながら僕は今日もせこせこWSの準備をします。

将来自分が定年退職した後もこうしてまちのために何かしたいなと強く感じるとともに自分に対する決意表明としてこの文を残したいと思います。

みなさんが建築を、まちづくりを学ぶ意味はなんですか?

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