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変だよねって思っても

小さなころ、「これって変なのではないか」と問題意識を持つことが多かったように思う。
小さな頃は以前書いたように「便所の電気を消せ」といっている親が時に便所の電気をつけっぱなしにしているなど、「自分が言ったことを自分ができていない」という状態に強い問題意識を持ち、時にぶつくさと文句を言っていたものである。

高校生にもなると多少は社会のことがわかるようになって、その問題意識は身の回りのことから社会のあり方などにも及ぶ。私が高校生だった当時は民主党政権の時代で、政権運営の拙さは子供の目から見てもよく分かるほどであった。
また、政治家の言葉が意味不明で簡単に翻ることを子供ながらに感じていたこともあって「政治家の言葉が実に軽薄で、ウソばかりだ」ということに、幼年期と同様に問題意識を抱いていた。

いずれにせよ、私自身は言葉に対する問題意識が強かったのだろう。

子供であれば問題意識こそあれその解決のために身を投じる力はない。そんな問題意識を持っていても何もできない無力さに悶々としながら大人になっていく。

しかし、いい年になってみると、不思議と社会の中で「政治家が言っていることが180度変わるなんてよくある話だし、だいたい適当にしゃべっているものだ」と諦めて、問題意識そのものを持たなくなっていることに思いが至る。
昨今の政治資金の問題などについて一連の報道を見ていても「まあ、そういう言い方にしかならないよね」と斜に構えて見つめている自分がいる。

そんな世の中を変える力が自分などにはあるまいと諦めて、「おかしいでしょ」といわれても「ま、そういうものだから」と勝手に受け入れて、いつの間にか問題を見過ごせるようになっている。

そんな風にのらりくらり過ごしているうちに、気づかぬうちに問題意識を失っていくのだろうか。
それを「大人になること」と呼ぶのだとしたら、それは大いなる誤りだろう。大人とは「そういうもの」と皆が目をつむるモノに対して「おかしいでしょ」と感じ、そして改善に向けた変革への意志を失わずにいるべきだ。
子供のように真っすぐな目で「おかしい」と言う日はもう来ないのかもしれない。それでも現実を把握した上で「何かおかしい」と言える小さな問題意識は、決して失わぬようにいたい。

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