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沖縄はスーパーマリオサンシャインだった②

おじさんが何食わぬ顔で通過していった通行止めのバリケードをどかして二人で侵入してみると、そこにはうっそうと茂った洞窟のような場所があった。

調べたところによると、恩納村の秘境ともいわれる「ウドゥイガマ」という場所だった。ちょっとした洞窟みたいな感じの場所で、ダイバーの間では「知る人ぞ知る」的なスポットらしい。指定文化財にもなっているそうだ。

ウドゥイガマから見える風景

ずっと自転車でアスファルトの道を走ってきた私たちには、目の前に現れた開けた海は美しく見えた。
前回の投稿でも書いたが、沖縄ではいくつか「失ってきたもの」に出会うことが多い。

「1時間くらいかけて来たってことは、帰るときも同じくらいかかるのか…」と若干憂鬱になりながら(疲れただけ)同じような道をとりあえず戻る。18時前くらいにホテルに到着し、明日に備えた。


翌朝、ホテルの近くにある海でシュノーケリングの体験をした。
このシュノーケリングがまあすこぶる見事で、バナナボートで沖合のほうに出て潜ると、それはもうサファイア色の透き通った海が眼前に広がった。
すげえ――これが率直な印象だった。テレビできれいな海の映像なんかがあるが、あんなものとは比べ物にならないくらい感動的だ。人生で一度は見てみたほうがいいと思う。

普段は陸の上で生きているから海の中に思いをはせることなどほぼないわけだが、海は海で別の世界が存在しているんだなと強く感じた。魚はすいすいと泳いでいるし、海藻がふわふわと揺れ動いているし、ヒトデもべろんと岩の上にいる。

途中、お麩をちぎって魚にあげるとすごい勢いで食いついてくる。ぽんぽんちぎって渡していたのだが、はて魚はどうやって餌を餌であると認識しているのだろうと気になってしまった。
食ってから「これ食えるじゃん」と認識しているにすぎないのだろうか。そうであるとすれば魚は「食えるか食えないかわからないもの」に一直線に向かってきてとりあえず食べているギャンブラーも真っ青の精神性を有していることになるな、などと海底を見つめながら考えていた。
なお、気づかないうちに膝の後ろを魚に擦られたらしくまあまあ出血していたのだが、没頭していたせいか痛みには気づかなかった。

人から話を聞いたりすることや、小説を読んで想像を広げることは言うまでもなく大事なことであるが、やはり自分の目で見ることの感動に勝るものはない。
オンラインが隆盛の今にあって、顧みるべき視点である。(つづく)

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