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どう生きるかを考える前に「どう生きて来たか」を振り返ってみよう

映画「君たちはどう生きるか」が、このたびアカデミー賞の長編アニメーション賞をとったという。実にめでたいことである。同作については前に感想も書いているのでご覧いただければ幸いだ。

さて、「どう生きるか」というのは極めて抽象的な問いだ。考えようとしてみても、これからどう生きるのかにあれこれ施策をめぐらせるのはそれほど簡単ではない。

しかし、今までをどう生きてきたのかは、私たち自身がよくわかっているものである。
これまで歩んできた日常における自らを顧みればいいのだ。
どうだろう、人生は仕事やプライベートや一人の時間など様々あろうが、どのように過ごしてきたのか。

仕事もプライベートも、前向きに頑張ってきたのか。
様々な文句を言いながら、なるべく自分が楽になるようにとタスクをこなしてきたのか。
夢を諦めながら、無気力に今をやりすごそうとしてきたのか。
病床に伏し、思うようにやりたいと思うことができなかったり、何かをしたいと思うことすらできなかったのか。
もしくは、それでも立ち上がって、あがいて頑張ってきたのか。

将来をどう生きるのかを考えることは、自らの過去に対して何を思うのか、から始まるのだろう。
別段不満がないのであればそれはとても幸せな人生である。
不満が少しでもあるのであれば、そこにはなお改善の余地がある。未来に向けてどう生きるのかを考えてみたり、何かをやってみれば良いのだ。
別にそれは多くの人の関心を集めるような大きなことではなく、身の丈に合ったことでよいのだろうと思う。

どう生きるのかを考えることは遠い将来の話では無く、今この瞬間をどう過ごすのかという心性の問題であり、もっと言えば時間への向き合い方でもある。

生まれることも死ぬことも自分のものである以上、人生はひとえに自分のものである。一人の時に自分の時間とどう向き合い、どのような心を持つのかを考える「慎独」にこそ、どう生きるのかというヒントは隠れている。

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