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「君たちはどう生きるか」をみてきた

【※ネタバレがふんだんにあります】

最近話題の映画「君たちはどう生きるか」を見てきた。
ジブリ映画には幼年期から多く触れてきた。「となりのトトロ」「平成狸合戦ぽんぽこ」「おもひでぽろぽろ」「火垂るの墓」「魔女の宅急便」「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」など、あげればキリがない。

「君たちはどう生きるか」を見ても思うが、ジブリ作品は「現実に限りなく近く、しかし現実から遊離した世界」を描くことについては右に出るものがいない。「千と千尋の神隠し」はその典型で、町並みはどこかにありそうなのにカオナシなど現実には存在し得ないキャラクターがいる。現実では起こりえぬ矛盾が現実で起きているような感覚に陥る。


さて、「君たちはどう生きるか」をめぐって世の中では「よくわからない」「謎」といった感想が多いのだが、個人的には割とスムーズに内容が入ってきたというのが率直な感想で、割と感動した(なんなら終盤でちょっと泣きかけた)。

ここからは作品についてあれこれ感想を述べていくが、まず大前提としてこの作品は「世界には目の前の現実とは異なるいくつもの世界が同時並行で存在する」と考えると、幾分わかりやすいと思う。
私たちはあくまで、生まれてから死ぬまでの人生をこの現実で過ごすだけであって、亡くなればこの世界の下のほうにある地獄へ行ったり、この世界と連続性のある天国に近い世界に行ったりする。つまり、私たちは生の世界と死の世界をいったり来たりしながらその歴史を刻んでいるということだ。

作中において大きなテーマの一つが、「命の誕生」である。
作中では、地獄からふわふわと命(作中では「わらわら」と呼ばれる白い餅みたいなかわいいやつ)が空へ上がり、赤ちゃんとして現実に生まれるという説明があった。
空に向かう過程ではペリカンが命を食べる描写もあり、一つの命がこの現実に生まれる前からたくさんの淘汰を乗り越えねばならないことを象徴していると感じた。

かたや、天国(に近い世界)では子どもを産む女性の様子を見ることは禁忌とされていた。歴史的に出産は「ケガレ(気枯れ)」と見なされていたのもあるのだろうか、ものすごい剣幕で「母親」が主人公を叱りつけていた。
そしてこのシーンは、新たな「母親」を、母親として受け入れることができていなかった主人公が初めて「お母さん」という言葉を使って呼ぶ部分でもある。二人の間のわだかまりが解きほぐされるシーンでもあった。

「命の誕生」をテーマに描いているのは、作品の核となるメッセージにも通ずる部分がある。それは「Creator(創造主)であれ」というものであり、これこそが「君たちはどう生きるか」という問いの回答でもあるのだろう。
創造主として、美しく、穏やかな世界を作るひとりであれ、というメッセージが込められているのだ。

英語では"Creator"という単語の意味の一つとして「神」という意味がある。それは神が人間を作りたもうたと考えられているからだ。となれば、命が生まれること自体が創造だということであり、世界を作る行為だといっても何ら語弊はない。
終盤の台詞で「君の塔を築け」ということばがあったが、あれが全てを物語っているように思う。作品終盤で塔が壊れていったときには、世界そのものが壊れてしまったことからも、作中で「塔=世界」であることは示唆されている。
そして塔を作ることが世界を作ることであるならば、社会のみならず自己内部の世界を作れという意味合いもあるのだろうと感じた。「自分だけにしかない確かな世界を作ってみろ」と言われているような気持ちになった。

要するに、我々は目の前にある現実社会をよりよい形に作り替え続ける努力をしながら、そして内面にも自分だけの確かな世界を作る生き方をせよ、ということだ。


思えば、小さい頃にはそこにいるだけで周りの人たちを元気にし、ともすると大人たちの悪事を知らず知らずのうちに矯正していたのだろうと思う。言わずもがな自己の内面には現実と遊離した、強度ある世界があった。

大人になるにつれて自己内部の世界は現実と融和し、そしてその輪郭がわからなくなっていってしまう。次第に自身が社会に対してどんな価値があるのかもわからないまま、時間だけが過ぎていってしまうこともある。

映画「君たちはどう生きるか」のメッセージは、実は幼い頃知らず知らずのうちにできていたことだったのかもしれない。澄んだ目をした少年少女だったあの頃、こころのレンズが写し出していた情景が、あの日のスクリーンに映っていたのだろう。

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