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伝統文化のか細い糸を切るのは簡単で

わたしは趣味でお茶をやっている。だらだらやっているのだがちゃんとやるとなるとそれなりの着物を着ていく必要があるので、一応着物も持っている。

着物というのは産業としていま極めて厳しい状態にある。
着る人が年々減っているから工場も止めざるを得ないし、悉皆屋さんの仕事も減るから廃業せざるを得ない。衰退産業の最たる例である。

こうした状況をどうにかせねば、と活動している人がいる。お茶のつながりで出会ったある悉皆屋さんがいる。
その悉皆屋さんはどうにか着物産業をよみがえらせるために自らの赤字をいとわずに一生懸命活動している。
若者に着物を買ってもらおうということで数十万円で立派な正絹の着物を買わせてくれるのである。普通に買えば百万円になっても別段驚きはしないくらいの質のものである。
行き過ぎと言えるほどの自己犠牲の心に頭が上がらない。

その悉皆屋さんにお招きをいただいた食事会で、最後のごあいさつでこんな話をしていた。

「お着物の文化だって、壊すのは簡単なんです」

何事もそうだが、破壊は一瞬である。
家だって作るのには何ヵ月とかかるけれども、壊すのはほんの数日で済んでしまう。
文章だって書くのは大変だが消すのに苦労はない。全選択してバックスペースを押せば終わりだ。

いまでも着物を作る工場は毎日のように稼働することをやめ、そして歴史に終わりを告げる。
何もしなければ人気のないものは次第に廃れ、失われ、そして歴史的遺産のようになっていき、最後には語られなくなって、その存在は永久に失われていく。

あがくことがなければ、人気がなければいくら大切なものであっても無くなっていくのが世の常である。残酷なものだと思う。
歴史を紡いでいるのは今この瞬間であるということに思いが至らないと、伝統を守ろうという気にもならない。人気なものや流行りのものだけに目を奪われていると失いがちな視点の一つだ。

私たちの目の前は歴史的伝統という糸がたくさん垂れている。そのひとつひとつに「着物」「年賀状」「お歳暮」「ひな人形」「能」…などと様々に分類があって、一本一本の糸は極めて繊細で、下手なことをすればすぐに切れてしまうほどのものだ。ただ、それらの糸を大切に織りあげていったとき「伝統文化」という美しい反物がはじめて完成するのではあるまいか。

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