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人生をクソゲーにしないために

最近、ゼルダの伝説のゲームが流行しているらしい。
タイトルは忘れたが、ドはまりしている会社の同僚曰く「オープンワールドで面白いっす」と言っていた。
要は制作側のシナリオがあるわけではなく、主人公目線で自由にゲームを進められるということである。たとえば、最初の激弱の状態からいきなりラスボスにトライすることもできるわけだ(当然負ける)。

ゲームというと私はパワプロのようにシナリオがあってドラフトで指名されないとゲームオーバーになるとか、グランツーリスモのように自由度は高いものの最初からすべてのレースに参加できるわけではなく、ある程度達成率を上げないとゲームが進まないものしかやったことがなかった。
オープンワールドの世界であれば、別にクリアしないで楽しくやっていればOKでもあるし、クリアするために頑張ってもいい。言ってしまえば、シナリオを自ら描き上げることができるのがオープンワールドである。


ところで、小学生のころから付き合いのある友人で会社を興したひとがいる。彼は事業の傍らでポッドキャストをやっている。
そのなかで「人生はオープンワールド」という話(https://open.spotify.com/episode/5DULNTJSFAF5oRTHMCJ8vN?si=gGM5Eo8aR0KJzWnkAv_T2Q)があった。面白い人生観だなと感じたのでぜひ聞いてもらえたらと思う。

話のざっくりした内容としては「学生時代のように平等に区切りがあって時間がくれば誰かが人生をどうにかしてくれるという状況から、大人になると人生は誰かがどうにかしてくれるわけでもない状況になる」というものである。まさにオープンワールドのゲームのような世界になるということだ。

大人が生きる「オープンワールド」のなかでは、自分で勝手に進路や夢などの選択肢を選んで、そして「シナリオ」を進めていく必要がある。
シナリオを進めるときには、ゲーム同様に武器を得たりレベルを上げたりして強くなる必要がある。要は成長する必要がある。

力がないと「この敵を倒すのは無理だ」などと諦めて、シナリオを進めるどころの話ではなくなる。
未来のシナリオのために、意味があるのかわからなくてもとにかく成長して力をつける意志を持つことが極めて肝要である。

人生というゲームで力をつける意志を失えば、私たちは単なる村人に成り下がる。主人公として生きるのであれば武器を揃え、様々な人からヒントをもらいながら、自らの手で自分だけのトゥルーエンドを作る必要がある。
オープンワールドの「人生」というゲームをクソゲーに堕するかどうかは、私たち自身の成長にかかっているのである。

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