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飲み会での愚痴は、会社に飼い慣らされてしまった証拠かもしれない

学生の頃の飲み会というと、大概は意味もなく酒をあおって嘔吐するという時間になりやすい。
社会人になると流石に節度を持って飲むことを覚えるわけだが、社会人歴が長くなるにつれて飲み会には一つの特徴が出てくる。

それは、会社の愚痴を言うようになるということだ。

聞いている時は「ふむふむ、この人は目の前の現状をそんなふうに捉えているのか」と思ったりするのだが、じゃあ愚痴をああでもないこうでもないと言い続ける飲み会から何が生まれるかと言えば、実際のところ何も生まれない。
愚痴を言ったからと言って会社は変わらないし社会も変わらないし、これは己がいかに力がないのかを露呈するだけでもある。

愚痴を言って「まあなんだかんだで明日も何とか頑張るか」と思ってくれるなら、会社にとってそんな愚痴は極めて安いものだ。
人間だれしも愚痴はつい口に出てしまうものだが、その瞬間にいかに自分が会社に飼い慣らされてしまったのかを知る機会にもなると、最近になって思うようになった。

もちろん会社に対しての批判は重要だろうし、会社に対して問題意識を持ち続けることは極めて重要だ。
でも、愚痴をいいつづけてそのうち飼いならされていくくらいなら(もし現状を良くないものだと認識しているのであれば)上に上がって会社を変えるなり、会社が変わらなければ職を変えるなりすべきではある。

愚痴を言ってガスを抜いて、それでも会社に勤めるというのが自分の人生にとって合理的なのであれば、それもまた一つの選択だ。これは単に己がどう生きたいのかの意思が問われているだけの話なのだろうと思う。

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