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【出産】男の十月十日②~切迫流産と譲られない電車~

そんなこんなで平穏な日々がこのまま過ぎるのかなあなどと思っていたら、ある時奥さんに出血があったらしい。病院に行くと「切迫流産」という診断だったという。
「流産」という二文字は極めて不穏である。会社のパソコンで調べると「流産一歩手前の状態」とのことで、「えぇ!?」と動揺した私はその日、仕事を9割くらい残して帰宅した。

もっとも、早く帰ってできることがあるわけではない。つまり私は実質的に仕事をサボっただけなのだが、とりあえず奥さんから話を聞いてみる。
奥さんはお医者さんのアドバイスで仕事を一週間ほど休んで安静にすることになったという。

男は生まれてから死ぬまで一人の人間としてその命を削るわけであるが、女性は妊娠すれば10か月ほど二つの命を宿した状態で生きる。たかだか数センチにも満たない命がそこにあるだけで、奥さんは吐き気をもよおし、そして出血すれば仕事も休むことになり、当然感情も不安定になろう。
要は他人(赤ちゃん)のために生きることを強いられる運命にある。これを受け入れられる奥さんのこころみたいなものには頭が上がらない。
私だったら何かしら弱音を吐きそうなものである。「子供がほしい」と願い、そして母になりゆく女性は気丈である。

一週間ほど安静にしたところ、なるべく座って仕事をするとの条件で職場復帰した。赤ちゃんの心拍も一応確認ができたようでひとまず安心だった。

このころになると「おなかに赤ちゃんがいます」という妊婦マークを自治体からもらえる。これをカバンにつけて外に出るのだが、奥さんがよく言っていたのが「意外と電車とかで席は譲ってもらえない」という話だった。

つわりの時期には吐きそうになりつつも平静を装うこともしばしばで、人混みなんかで突然吐き気が込み上げることもあるという。
そういった見えない苦しみを可視化しているのがそのマークなわけだが、それをみても寝たふりをしたり、スマホをいじって知らんぷりをしたりする人は珍しくないらしい。そういうときに席を譲ってくれるのは決まってお母さんや一通り育児を終えたおばさんだという。車内にヤバい人がいて見て見ぬ振りをするということは自己防衛のためにあるとはいえ、妊婦など立場の弱い人がいても見て見ぬ振りをするというのはいたく悲しいものだ。
人間、自分が1番かわいいものではあるけれども、いい年になっていつもその調子だとそのうちに何か大切なものに気づけないまま時が過ぎゆくのかもしれない。見えないものに目を向ける努力をして、苦しみを忖度できる感性を失ってはならないなと奥さんの話から痛感させられた。

10週目くらいになるとつわりのピークが過ぎ、次第に顔色が良くなり食も太くなり始める。そして明らかにお腹が少しずつ膨れ上がり、「何かいる」感が出てくる。
男性としてはこのあたりから「もしかしてお父さんになるのか」という認識がうっすらではあるが生まれてくる。「遅えよ、しかもうっすらって」と女性から言われればそれまでなのだが、身体に何の変化もないとそんなものなのだろうと思う。(つづく)

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