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俺の敵はだいたい俺です

自分に向けて
やりきれない、なりきれない人に向けて
人と比較してうまく生きられない人に向けて
そうでない人に向けて

タイトルは漫画「宇宙兄弟」南波六太の一言。
万人にお勧めできる今もなお連載中の漫画です。是非読んでみてください。

プライド高い人

プライドの高さは自分では気付きにくい。
他人からの指摘が無く気付けてない人も多い。

自己中心的な考えが強く人が近寄らない、
情けで指摘されないなどを理由に
誰から指摘されず自分のプライドの高さに
気付かない人、気付けない人。
他人からプライド高い人だと指摘されることで
気付く人。
信念の高さや自分軸があるように見られ、
周りの人間にプライドの高さが
気付かれない人。

プライドの高さにも外見や性格、人柄、
または、周囲からの見方や捉え方によって
教えてもらえる人もいればもらえない人もいて、
自分で気づける人もいれば気付けない人、気付かれない人もいる。

もっとも、プライドの高さは他人から
測ることは難しく、些細な言動から読み取る能力
や日常的な意識がなければ、
自分のプライドの高さ気付けない。

だからこそ、
私は自分がプライド高い人間だと思ったことがなかったし、
今まで自分がプライド高いことに気付けなかったのだろう。

特に自分は俗に言うプライドが高い人が
あまり好きではない。
その為、常にそうならないようにしようと、
プライド高い行動は避けてきた。
しかし、行動をしないようにするのではなく、
その行動を自分がしているものとし、
「自分は誰よりプライド高い人である。」
と仮定することで自分を見つめ直し、
自分の本質を問うことが出来た。

プライド高い人とは実際どういう人を言うか。

考えられる特徴として、以下が挙げられる。

・負けず嫌いで自分の非を認めない。
・他人からの意見を聞き入れない。
・自己中心的で自分が1番正しいと思っている。
・上から目線で他人を下にみる。
・自分のことで笑われるのが嫌い。
・固定概念、固定観念が強すぎて融通が利かない
・ヒトや周りと比較して学歴や職歴を気にする
・頼ったら負けだと思っている。
・自意識過剰。
・自尊心が強く自分を大切にしている。
・ナルシストで自慢話が多い。
・ブランド志向
・謙虚さが無く、負けず嫌いな人。


プライド高い人とはこういう人を言うのだろう。

と、まるで自分は違うかのように考えていた。

これまで、プライド高い人を狭い視点でしか見れてなかったのだろう。

実際、私は上から目線とか、自己中心的とか、
他人の意見を聞き入れない、自分を正当化する、
そういった傾向が強い人が好きではない。

最も、自分が今一番大切にしていることであり、
目指しているものは「謙虚な人」である。
だから、上から目線でものを言うような
謙虚さの無い人間を否定的にしか見てこなかった。

謙虚さを持とう、プライド高い人にはならないように
しようと気を付けて、そうではないつもりだった。
別の視点から自分を見ることが出来なかった。

しかし、自分がプライド高いのではないかと
気づけた事は決して悪いことではない。

他者から指摘を受けた時、
自分の非を認めたり、反省したりする事はしても、
自分の持っている価値観や軸を
真っ向から否定的に見ることはしてこなかった。

単純にその指摘に焦点を当てるだけでなく、
もっと大きな視野で考えてみることも重要である。

だから、結局反省してもプライド高い行動を
しないようにしようと心掛けるだけで終わっていた。

今ある自分の思考や価値観から
自分は○○な人である。
自分は○○な人ではない。
という何となく捉えている自分という存在を
主観や判断基準となる自己の中の固定概念(観念)を
たまには真っ向から否定してみる必要があった。

結果、自分はプライド高い人ではない。
という固定観念を覆せなかった時点で
私はプライド高いのだ。

私はいつも「自信がない」といつも言い訳して
上手く行動が出来ない。

でもそれは失敗を恐れているからであって、
常に自分の理想を掲げ、
理想通りにならないことを恐れているのだろう。

負けず嫌いの人は他者に負けるのを、
自分が下に見ている人に負けるのを嫌うが、

私の場合、自分で自分を下に見て、
理想の自分に負けるのを嫌っている。


自分の本当の気持ちを無視して、
出来ない自分に言い訳している。

妄想の中で作り上げた理想の自分という
言い訳まがいの像で
本当の自分を見下している。


自分というプライド高い人間
本当の自分を上から押し潰して
勝手に居心地悪くさせているのだろう。

にもかかわらず、理想通りにいかないと
酷く落ち込み、悔やむ。

人生を楽しもうとして、
理想を掲げ、行動出来ず、
毎日楽しくないと過去に後悔する。

あなたにとって敵とは誰ですか、

という質問を自分に投げ掛けるとすれば

結局、私にとって敵とは自分なのだ。

自分に自信が無くて
人に話しかけるという行為ですら
迷惑じゃないかと悲観的になる。

そのせいで
無視されることが嫌い
誰かに似ていると言われるのが嫌い
いじられることが嫌い
嫌われるのが怖い
という感覚、思考も生まれた。

これらも恐らくプライドの高さからきて、
良く見られたいと思うから嫌われないように行動する。

自分の気持ちを無視して見て見ぬふりをしていたのは自分にも関わらず、
勝手に人間不信になって嫌われるかもしれないと
勝手な思考、妄想で自分の行動を抑制している。

会話に共感力とか他者理解を求めたり、
しようとしたりするが、
結局、自分の理解者は自分しかいない
大抵のことは人には分からないし、
踏み込めないし、踏み込もうとも思わない。

良く見られたい
分かってもらおうとしてる
気楽そうな人を見かけると
あんな風に気楽に生きたい、ああなりたいと
勝手に自分を軽視して、
自分は周りとは違うのかと悲観的になり、
どこかで自分を特別視する。
メディアの情報や大衆受け、
若者向けとひとくくりにされた社会と
自分は切り離されたように感じ、
大衆に負け、人気とか流行とか
比較的目立ったものが
社会のすべてに思えてしまう。

社会のせい、大人のせい、親のせい
違う
仮にそうだとしても人のせいにしたまま
それを軸にして生きる人間に成長は無い。

社会を自分がどう捉えるか、
自分の中の社会どう作り上げていくか
社会を1つとして捉えず、
社会の中にも色んな社会があることを認識し
自分に合った社会を選ばなければならない。

社会を、自分を、
敵にも味方にもする。


人の本質的な強さは
日常の選択で関わる人、環境、
すべてに対して
それが敵か味方かどうかを
問い続ける中で生まれ、

自分という味方と共に自分という敵に勝てた時、
人は一歩成長できるのだろう。

あなたにとって敵とは誰ですか?

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