見出し画像

スーツを着た大の大人達が感情をあらわにしている様子

 三歳から十五歳までサッカーをやっていた。最初は幼稚園のサッカーチームで、小学生の時には通っていた学校にサッカークラブがなかったため隣の学校のサッカークラブで、そして中学ではサッカー部に所属してそれぞれプレーしてきた。
 そんなわけでサッカー日本代表の試合があるとなにはともあれチェックする。普段から熱心に海外リーグやJリーグを追っているタイプではないので完全なるにわかである。もっとも渋谷のスクランブル交差点でお祭り騒ぎはしないし、自宅のテレビやパソコンのモニターの前でさえも大人しくしている。なぜ未だに興味があるのかはちょっと謎である。無論、見方は少しづつ変わってきている。子供の頃は派手な得点シーンなんかに魅了されていたが、年を重ねるごとにそれ以外の部分も理解して楽しめるようになってきた。ベンチでスーツを着た大の大人達が感情をあらわにしている様子だけでもちょっと見ものである。

 御多分に洩れず、2022年カタールワールドカップにおける日本代表の躍進には胸が躍った。やたらと「一喜一憂するな」という声が各所から聞こえてきたが、あんな風に勝利と敗北を交互に見せられたのだから文字通り一喜一憂せざるを得なかった。個人的にはハイライトだけではあるがセルティックをチェックしているので、前田大然が試合毎にちょっと意味が分からないくらい前線を走り回った末に結果を残してくれたのは嬉しかった。
 一方でプレー内容とは全く関係なく、長友の赤髪やブラボー発言などに対し、僕は最初懐疑的だった。なぜ彼ほどの実力と実績がある選手が、あのようなメディアを過度に意識したようなパフォーマンスをこれ見よがしにする必要があるのか理解に苦しんだ。ムードメーカー的な立ち振る舞いがチームの士気を高めるのは分かるが、現役引退後を見据えたキャラクター作りに余念がない印象を受けてしまった。

 ワールドカップ終了後、僕は様々な関連動画を見漁った。戦術の解説動画、ドキュメンタリー、インタビューなどを通して感動の追体験をしようとしていたのだろう。その中で、松岡修造が長友にインタビューしている映像があった。スタジオでのトークの合間には舞台裏の映像が随所に挟まれており、クロアチアにPKで敗れた直後の日本のロッカールームの様子が窺えた。この世の終りみたいな雰囲気だった。PKの一本目を外した南野が項垂れていたところに長友は近付き、「勇気あるよな。俺は蹴れねえ」と声をかけた。その瞬間、僕は泣いていた。というかほとんど嗚咽していた。感情が徐々に高まっていくような予兆は全くなかったので、急に崖から突き落とされたような感じだった。自分がPKやフリーキックを蹴りたがらない選手だったことを、僕は思い出した。
 ちなみにホストのローランドにインタビューを受けている前田大然の映像をYouTubeで見ることができる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?