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不毛な努力や異常な情熱

 エルヴィス・プレスリーの伝記的映画『ELVIS』を見た。彼の生い立ちやスターになるまでの経歴についてはほとんど何も知らなかったので、ドキュメンタリー的な作品として興味深かった。
 ファンではないにも関わらず、僕は長年に渡ってエルヴィスをある種の象徴的存在として捉えてきた。彼が着用していたことで有名なハミルトンのベンチュラという腕時計を、僕は二十七歳の誕生日に買って以来今でも愛用している。この二十七歳というのもロックの歴史においては象徴的な数字で、カード・コバーンやジミ・ヘンドリックスといった名だたるミュージシャン達が亡くなったことで有名な年齢である。おそらく僕はロックスター達から何かしらの恩恵を授かろうとでもしてきたのだろう。普段はおばけや宇宙人、占いや風水といった類のものをほとんど信じていないのだけど。

 昔から腕時計が好きだった。といっても特に色々とコレクションしている訳ではなく、現在使っているのは前述したベンチュラに加えてカシオのデジタル時計の二本だけである。共に電池で動くクオーツ時計で、機械式の時計を買ったことは一度もない。初めての機械式時計として何を買うべきか長年に渡って悩み続け、結局未だに心を決められていないという状況だ。今のところドイツのユンハンスというブランドのマックスビルというモデルが第一候補なのだけれど、最初だからこそロレックスにいくべきだという葛藤もある。ロレックスならノンデイトのサブマリーナか、デイトジャストのフルーテッドベゼル・ジュブリーブレスのモデルかで一生悩んでおり、いずれにせよ文字盤は黒が良い。
 実用的な観点から言えば、時間なんてスマホを見れば分かるのだから腕時計なんて極論必要ない。まあそんな何億回使い回されたかも分からないような理由で腕時計を否定する人はもはやいないのかもしれないが、一応プロの言葉を引用すると、独立時計師である菊野昌宏氏は「時間を知ることはもはや重要ではない」という趣旨の発言をしている。日常生活において月の満ち欠けを気にする場面なんてそうそうないし、大抵の人は水深三百メートルまで潜る予定もないだろう。仮にあったとしても僕なら時計は腕から外しておく。
 しかし便宜上、この手の機能は時計メーカーがアピールするセールスポイントではある。もちろんそれを実用的な場面で活用する人も少なからずいるだろう。だが多くの時計愛好家達が大枚を叩くのをいとわないのは、機能それ自体にではなく、その背後にある不毛な努力や異常な情熱みたいなものに対して価値を見出しているからである。少なくとも僕はそう解釈している。これはありとあらゆる種類の芸術と同様である。人は音楽なんて聴かなくてもご飯さえ食べれば生きていけるし、映画なんて見なくとも眠りさえすれば次の日にも動ける。しかし、この世の中は必要な物だけでは作られていない。音楽や映画がない生活なんてあまりにも味気ないだろうし、それが誰かにとっては腕時計なのである。

 そんな訳で、僕が将来ロレックスやその他の高級腕時計を着けていても「あいつは変わったな」とか言わないで欲しい。


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