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私のSE経歴 3/4

 3回目です。

無題

  残業過多(その割には残業代ほぼなし&賞与も上場非上場色々移ったけど、どこも2カ月もない)と深夜帰宅のタクシー代自腹、生活拠点も定まらない20代30代のソフト会社生活に別れを告げ、普通の会社に社内SEとして転職をしました。

1.最後のソフト会社

 最後のソフト会社では、最初の会社と同じように社内で作業であり、出張もなかったので、生活拠点が定まらない事はなくなりました。
 久しぶりにフレックス勤務であり、これまでもフレックス勤務の会社はありましたが、よほどのことがない限り10時出社であれば、タイムカードでの労働時間管理もされていたので、それなりに満足でした。

 しかしながら、やはりどこかおかしな業界でもあるわけですし、売上を立てるために、投入人員を増やせず、中小であるためにできる若手はリーダーで小規模案件を次々こなし、できない者は、アサインしても無駄になるので、プロマネとプログラマー兼務でやらなければならず、しかもほぼ2時くらいまでかかるという毎日。
 その分早くに出社して対応しても、当のプログラマークラスは、問題を抱えた者(精神的に不安定、てんかん持ち、家族に病人がいて介護等)ばかりなので、進みも遅いので、結局、帰宅が遅くなる有様でした。

 そして、毎月5万の残りしかない日が3ヶ月続き、会社と言うか上司が自己責任と言う判断で、タクシー代の支給を拒まれもしたので(その分、売りはマイナスになろうが、きっかり残業代は付けさせてもらったw)、これ以上いると、ろくなことないため退職することにしました。

 面白い事に、その上司含め、中堅クラスや管理職が、私が退職した後の3ヶ月以内に10人ほど退職したとか。100名いない会社で中堅クラスがこれだけ辞めれば、そして、できない若手を抱えていれば、相応に請け負う案件も、狭いもので急になくなります。
 得てして、退職8年後に負債抱えて倒産したようです。

2.社内SEの道のりは、かなり険しかった

 次を決めずに退職。
 次は、普通の会社で社内SEとして働く事を強く望んでました。
 2社ほど話は進めていたのですが、どうも赤字状態で危ないと思い、改めて無職転職活動となりました。
 案の定、翌年倒産しております。

 さて、そこからがかなり険しく、社内SEとして出発するまで1年半かかりました。
 兎に角、見つからない。
 見つかっても、落ちるわ落ちる。

 今でもそうですが、ソフト業界は、一応成果主義で大量採用。
 対して一般企業は、年功序列で、社内SEともなれば、スポット採用です。
 しかも、転職回数が多く、短期で辞めている経歴者は、書類すら通らないのは、昔も今も変わりません。

 1年目は悠長に構えてましたが、さすがに1年過ぎると貯金も底をつきかけ、実家から退去命令もされ、死ぬかどうしようかでした。

3.幅を広げて探す事

 そんな時、たまたまですが、見つけてとんとん拍子で進んだのが、一昨年まで10年以上いた会社でした。

 兎に角、生活できる。
 それだけでしたねw。

 それと、探し方にも問題がありました。
 もっと早くに気づけば・・・です。
 結構、転職サイトやエージェントが扱ってない求人はあります。
 そこまで触手を広げる事です。
 しかし、スポット的求人が多い社内SEですので、運と機会は大きくあり得ます。
 後から聞いた話、募集した翌日に私が応募したようです。
 これ、正に運と機会ですね。

 ですが、やはり問題があった。
 それは、情シス部門がないと言う事。
 システム職の長はいるのですが、面接には出てこず、上司となる経理畑の者のみ。取締役としては一任していたようであり、実質間接部門の長である事から、その上司が対応というものでした。

4.こんな会社の社内SEには応募しない事

 何度も至る所で書いてますが、最低限こんな会社の社内SEの求人には応募しない事です。
 スキルもキャリアも得られません。

・情シス部門がない会社で働かない事(立ち上げでの募集なら別)
・情シス部門がない場合、社長やCTO直轄である事
・総務や経理の仕事も兼務させられること
・システム廻りの説明が出来ない会社

 社内SEと言っても、会社毎に求められる内容は、天と地の差です。
 それこそ、エンジニアリング経験が乏しい人もいるくらいです。
 また、間接部門であれば、昇給昇格もほぼないとも言えます。

 ですので、それまでの経験がほとんど不要にもなりえる。
 ある意味再出発的になる会社もあります。

 間接部門ともなれば、総務や経理職が長が普通です。
 それまで、その分野の経験がなければ、当然に昇格はありませんし、前職では、一般職で情シス部門の立ち上げも全くなかったので、昇格もありえませんでした。

 システム廻りの説明が出来ない事は、もう理解できるかと思います。
 わからないのです、面接官がw。
 秘密主義の会社もありますが(後年、代々木の声優学校や新宿当たりの料理学校はひどかった)、秘密にするべきことと面接で言うべきことの切りわけが出来ないか、あまり長けたエンジニアを求めてないの、いずれかだと思います。
 そういう企業に入れば、失敗率は高いでしょうね。

 また、その会社が求めているSE像の認識ミスや、あまり高くない方を求めている企業もあります。
 昔ならオフコンメインだったでしょうが、もうここ7.8年で、オフコン使っている企業は、相応に大きな企業でもない限り、意味不明でもあると私は思います。

5.社内SEは雑用ポジション

 そんな会社に再就職できたものの、イニシアティブは家庭用パソコンのセットアップができるレベルの経理畑の上司が持っている為、社内のシステム廻りの内容もよくわからずでした。

 決める製品もその上司と70代取締役の為、ほぼ意見が通らず。
 会社のITに対するスタンスの弱さから、キャリアは全く得られませんでした。

 それでも居続けたのは、これ以上転職したくなかった事と、それまでのソフト会社に比べて天国のような労働時間、勿論就業場所が同じであり、生活費に困らなくなった事もあるからです。
 ですが、実際ずっと我慢し続けて、精神的におかしくなったのは事実です。

 それは、本業以外の仕事もやらされてきたから。

 ただでさえ、オーバーワークなのに、総務や経理の仕事までさせられて、毎月10日ほどは22時に終わるというもので、実際の専業業務を土日にやっていたほどでした。
 経理なんて、伝票整理レベルでなく、月の処理そのもので電卓叩いて、データ修正や入力というものです。さすがに入出金の現ナマ処理はしませんでしたが、ほぼ経理職と同じ仕事を毎月兼務してました。

 残業代支給と言う名目でしたが、100%通りませんし、事務職以外申請しない社風でした。棚卸の時と、命じられた土日出張のみ、振替休日を貰えるという会社でしたので。

 システム廻りを軽んじてきた社風でした。
 私が来た時は、ウイルスまみれ、アダルトメール受信まみれでしたから。
 そういう会社でしたので、社内SEの立場が低いのです。

 よって、社内SE職は、間接部門の雑用係となるわけです。

 さて、前述にシステム職の長はいると書きました。
 不思議に思われるでしょう。
 元々この者は、営業職でしたが、仕事ができない為、間接部門に回された稀有な方ですw。本来ならクビか、雑用要員であり、同世代で似たような方はおりましたが、彼はシステム担当に。
 恐らくですが、学歴が良かったので、頭が良いだろうという考えでシステム職に回したようです。
 ええ、こんな塩梅なんです、昭和臭の中小は。

 元営業職なのに契約周りが全くできない方であり、管理職であるはずなので、マネージメントが全くできない方でした。
 なので、総務部門にぽつんといる人という、全社員からの意識でした。

 何しているかと言うと、一応コボルのプログラムは書けるようですが、本質的な教育は受けてないので、その場の対応です。当然に動かないシステムがさらに動かなくなりえます。
 そこをどうしていくかが、例の経理畑の上司ですが、こちらもわからないわけですから人任せ。「多分余計な事はしてないと思うよ」の反応ですが、そんな根拠ありません(怒)。
 それ以外、彼の仕事は、毎日データの修正、経理データの入力、ログならぬ毎日の受発注データのリスト出し(月で4箱でる)です。
 依頼があっても毎日定時で帰宅ですw。
 既に定年退職で嘱託ですが、プロパーで総合職でもあるので、退職金は1000万もらっており、娯楽もせず都内に住まう独身なので、貯金は多いでしょう。ある意味、いい生活ですw。上司も取締役もアンタッチャブルでした。

 ひどいよね。

6.終焉

 当然に、そんな奴らと話しが合うわけもなく、仕事も停滞どころか下がる一方。今後の扱われ方もはっきりせずで、数年前から転職活動をするも、有休もとれないため、止む無くコロナの時期を考慮して退職しました。

 SEとしては、かなり無駄な時間を過ごしましたが、プログラマークラスで終わらなかった事と、発注側に回った事で、幾つか展望は得られました。
 ですが、この先定年まで働くにはしんどいと言う事も。勿論SEとして、やっていけないばかりか、捨てられて終わりという職扱いでしたので、転職に踏み切ったのが一昨年でした。

情報提供や考え方、そしてこれまでの苦々しい経験での対価として、ありがたく頂戴致します。