笛とハーモニカと高円寺
今夜は早々と布団に入った。
エアコンはまだ衣替え中の為、窓を少し開けて目を閉じた。
5分、10分、30分と時間が過ぎる。疲れているはずなのに生活の様々な音が気になって眠りきれないでいた。
1時間経っても同じだったら無理に眠ることは止めようと決めた。
眠れない時は無理に眠る必要はない。次の日の朝、寝不足で後悔する朝になろうとも眠るという義務をあの長い暗闇を彷徨う苦痛と共に背負う夜より限りあるこの時間を自分の為に有意義に使う贅沢な夜も必要だと思う。
1時間後、私は暗闇から抜け出し立ち上がった。
私は外に出た。
夜風は私を心地よく迎え入れ、長い闇との闘いから耐え抜いた私を讃えてくれている様だった。
駅前のロータリーまで歩くと、思っていたより多くの人が夜を楽しんでいた。
私は一番端にあったベンチに座り夜空を仰いで見た。
遠くから笛の音が聞こえてきた。私にしか聞こえていないかの様な細く小さな音が夜空を流れていった。
気のせいなのか、私の行き過ぎた妄想なのか辺りを見渡した。
信号を渡ろうとする一人の青年が笛を縦に吹きながらロータリーを目掛けて歩いていた。
青年は私の斜め前に座った。
笛は時折り妙な音を出した。
私は夜を楽しむロータリーの人々が怒りだすのではないかとだんだん怖くなった。
もうこの辺で今日は止めておいた方がせっかくのみんなの夜が壊れてしまうのではないかと思っていた私とは裏腹に、青年は新たにハーモニカを取り出していた。
笛は下手だった。
優雅でそして哀愁に満ち足りた青年のハーモニカの音色はこの街の風景を見事に表現していた。
ロータリーで缶ビールを枕に寝転ぶ人、仲間とラップを通して会話をしている人たち、孤独そうなユーチューバー、愛し合いすぎた恋人たち、青年のハーモニカはこのアンバランスな人間たちを一つの作品として作り変えていく様だった。
物怖じせずに堂々とそして優雅にこんな事が出来てしまう青年に出会えた夜が、さっきまで暗闇を彷徨っていた眠りきれなかった夜をすごい速度で越えていく。
同じ日の夜だなんて思えないほどに、時間は進んでいた。
家へと急いだ。夜風は追い風に変わった。
少しの疲労と、体の全てに詰め込まれた充実感で私はすぐに眠った。