【重大発表】壮絶な人生を振り返る。

こんにちは0から始まる編集者です。

誰に向けて発表なのか分かりませんが、お時間がある方は是非ご覧ください。
いつも通り内容に一貫性はなくたくさんの事をこの記事に纏めます。
話がいったりきたりするのであしからず。。。。

このnoteは1月19日に始め、間も無く700viewを達成しようとしております。
みなさま雑な内容でありながら時間を割いて読んでいただきありがとうございます。

それではいつも通り突拍子もなく本題に入ります。
センシティブな内容も含まれるため、笑い話として見てってください!!!

みんなごめん。僕病気になってしまったよ。。。

もしかしたら同じ状況の人や過去に経験したことある人いると思います。
患ってしまった病名と症状そして経緯について記録として残しておこうと思います。

まず僕が患った病気は心の病です。
それは混合性不安抑うつ障害(ストレス性)というものになってしまいました。
これが発覚したのは3月上旬。病院に行って発覚しました。画像の赤線が僕の症状です。


なぜ病院にいったのか?
→僕の中でうつかもしれない。と思い、毎日が不安で明日が怖くなってしまったから。
本当に生きる意味や理由が見出せず、何もやる気が起きない。
こんな不安で辛い状況が続くならもう死んでしまいたいとずっと思っていた。

2月末にはもうやばいかもな。という気持ちが先行し、病院にいくか、行かないか、悩みながらも行ったところで、絶対うつだと思っていたから、
病院に行ったところで治るわけないし、病院にいったら負け。そしてその現実を受け入れたくなかった2月。

これまでの人生、嫌なことや逃げ出したくなることはたくさんあった。(みんなも少なからずあったと思う)

うつとか病院行こうかな。まではいかないけど、どんなことでも時間が解決するし、根性論だって思ってそう乗り越えてきた。乗り越えてまた強くなる。っていう解決方法を知っていた。だから病院になんて行かないしって思ってた。

でもどんなに時間が経過しても晴れることはなく、考え方を変えて、病院にいったところで治らないけど、1回現実を受け入れるために行って、何か変わるかもしれない。と思って病院に行ってみた。

3月上旬、朝一で病院に電話して、
僕)今日いきたいんですけど。。。(涙声)
11時からなら空いてます。ちなみにどのような症状ですか?
僕)自分がうつかもしれないんです。(涙声)
分かりました。気をつけてお越しください。

すでに情緒は不安定で泣きそうになっていた。いや、泣いていた。

実際に病院に行ってみると患者さんはたくさんいて、病んでしまってる人がたくさんいて、とてつもなく重い雰囲気を感じ、僕なんかきっとちっぽけな悩みだよな。と思ったし、その光景をみて2度と行きたくないと思ったのが正直なところ。

30分くらいカウンセリングを受け、なぜうつだと思うのか、これまで何があったかというのを聞いてもらい、主治医の元へ。

診断結果はうつ病ではなくあなたは混合性不安抑うつ障害(ストレス性)です。
と宣告された。
主治医からは朝1キロ先まで歩いてカフェに行って、帰って、
夕暮れ時にまた1キロ歩いて帰ってをしなさい。って言われたり、
ウチは薬に依存しないから、気持ちが楽になるから出すよと言われた。

僕は自分がうつなのか、そうではないのか。を知れるだけで十分だったから、分かりました、知れてよかったです。僕は薬に頼りません、もう通いません。と言って病院を後にした。

どうして混合性不安抑うつ障害(ストレス性)になってしまったのか。
シンプルに答えると僕が弱い人間であり全てにおいての自信がなくなり、不安に飲まれたしまった。
そして持て余した時間が僕をこの状況にさせた。
本当に僕ってついてないな。って過去をたくさん振り返り、悲観的なモチベーションのまま時を過ごした数ヶ月。

具体的な要因を以下にまとめます。長いです。

【仕事について】第1フェーズ(働くために生きている。)
僕は新卒で入社した会社を2年半くらいで退職をしました。
最低3年とか言われている中、今でも辞めたことの後悔はない。

良いことも悪いことも初めての社会人経験で得た物はたくさんある。
総じて成長させてくれた環境に感謝している。

良かったことは心強い同期達がいて夜飲みにいけたことはとても大きい。
そして業界を知れ、社会人としてのマナーがついたこと。
右も左もわからないまま、電話の受け方、メールの作り方すらしらなかったが、間違いなく同じ年代で社会人をスタートした人たちより、この会社で揉まれたことは大きな経験。業界が違えば学ぶマナーや礼儀は異なるとは思うけど、
最低限通用するナニカを手に入れたと思う。

そして営業として、営業会社としての考え方。
決して華やかな成績を残した訳ではないけど、自分自身の営業スタイルも間違いではなかったこと。(正しくはそれとなくやれたこと。)

会社としてはもっと攻めた営業や違う営業を求めていたとは感じていたけど、
疑問に思ったら、違うのではないか?と上司に言ってみたり、結局状況はあまり変わらなかったけど、言ってることは分かる。と理解してくれることも多々あった。
もちろんその先にある【but】の部分も僕自身も理解はできていた。
ただ何故?それをやる必要があるのか、意味はの説明は基本的になく、
こう言えば社員はやるでしょ。ってスタンスの理解にとても苦しんだ。

悪く書いてしまったけど、ただ僕自身にも問題はあり、組織の中で働く上での適応能力は欠陥していた。と反省しているし、大人な対応ができていなかった。

次に会社という組織の中での付き合い方。
上記に記載したことと矛盾及び重複するが(←言葉おかしいね。)、自分を貫きクライアントや社内、それとなく上手く関われた事。
僕の風貌か性格か、なにがマッチしたかはわからないけども、嫌われる存在ではなく、自分で言うのも恥ずかしいけど、どちらかと言うと、可愛いがられる存在ではいた。(後輩からは怖がられる。。。。)

新卒入社で配属は何故か新部署。ここには先輩はいない。
同期は何人かいたけども、僕だけ新部署に配属となり、孤独な状況となった。
ただ、気にかけてくれる大阪からきた1つ上の先輩が唯一いた。
好きではないけど、今思い返せば、孤独な自分は本当に助けられていたと思う。

入社してからはテレアポの毎日、教えてくれる人はいなく、
ひたすら電話をかけ続ける。アポが取れない限り外出はない。なかなか上手く行かないなか、急に内線をかけてくれ、ちょっと下いこうや。って声かけてくれた。
周りの同期も同じ状況とは言え先輩が隣につき、引継ぎが始まった。
隣の芝生が青く見えるってこういうことなんだなぁと本当に思った。

まあそんなこんなで1年くらいしたら部署移動となり、同期と同じ部署となって業務をこなした。1年もすれば大体の動きはできてくる業界ではあるから、先ほどから表現は良くないが、それとなく業務をこなした。

数字に関して言えば支店の新卒で唯一新規で顧客を獲得させ稼働させてたことくらいしかない。大きな数字ではないけど、言うとしたらそれくらい。
あとは1つのお客さんとの関係を構築し、300万から1000万以上の売り上げまでもっていったこと。
正直すごいと言える成績でないけど数字が【伸びていく】ということは楽しかったし伸びていったというイメージは周りも知っていたはず。

しかし僕が人生においてこの業界はそれ以上に息苦しく、遣り甲斐や生き甲斐にイコールにはならなかった。

僕みたいな人の動向を常に気にしてしまう人間は合わないと思った。
自分のやっている仕事に誇りを持つことができなかった。

悪く言うなら、人のために謝り、裏切られ、言い訳や嘘を考えたりすることもあったり。自分の思惑通りにいけば、やって良かった。とか遣り甲斐には確かに繋がったけど、比率で言えば8:2くらいで悪いイメージが勝ってしまった。

また、会社の戦略や考え方に賛同することができなかった。
無意味な新規営業、毎週の会議のための怒られないための会議、違うことを違うと言えない文化や風潮だったり。

一番は365日仕事脳になっていたこと。
基本的には朝出社したら、退社は早くて21時がアベレージ。
別にそれは良いんだけど、どうしても自分がやっている仕事に誇りが持てなかったから、嫌だ嫌だが勝ってたのは事実。

通勤の時ずっと思ってたのがサラリーマンはすごく眠たそうな顔してしょぼくれた顔して電車に揺られ、仕事に行きたくないオーラがすごい。
座席があいたら一目散に座る人たち。こんなことを言ってるけど、僕もきっとそうだったんだろうな。って。

心身共に疲弊しはじめて体調一気に崩れた時期もあって、
なんのために仕事をしているのか、幸せとはなにかとても考えた。
考えた結果、この会社では僕は幸せでいられることはない。と思った。

仕事のために生きている。という概念を変えなければ変わらないと思って転職を決意した。

最初は友達が勤めている会社の話を聞き、あとは印を押すだけ。となったが、
やりたい仕事でもなく、転職をこんな簡単に決めてしまっていいのか。と思った。
その結果、友達の面を潰してしまったけど、正直にごめん。と断った。

その会社の面接の帰りに、1社目の元上司から連絡がきてウチにこないか。という話をいただいた。とりあえず話を聞いて、僕が抱えて言える悩みを言ってみた。
僕の中でも同業であったけど給与もあがるし、やりたいことの資金を貯めるためにもとりあえず他社も見てみる。ってなんとも浅い考えで入社した。

・第2フェーズ(生きるために仕事をしている。)
そんなこんなで同業に転職した訳だけど、結局は仕事を好きになれず相当なストレスを抱えた。
僕のことを知っている人がいる会社ではあったから、上司とはいえ求めてはないがサポートされる訳もなく。
仕事ができるできないはどうでも良いけど、やるべきことすらやらない人ばかり。
人のことを棚にあげ、馬車馬働きさせるような感じ。
まぁあくまでも僕は僕ってところを貫いてたから、扱い難いと思われてることを感じながら仕事をしていた。
悪く言うのは申し訳ないが、この会社にいることで自分の価値を下げていて、ここで働く意味はあるのか?と思った。

転職した後悔はないけど、変わったのは給与だけかな。
より小規模な会社でフローや全てが煩雑の中、上層部は業界を知っているくせに何故こんなにも無法地帯な環境にしているのか、疑問でしかなかった。

良いことを捻り出そうとしても正直特にない。
僕のことを裏で言う人はたくさんいたと思うけど、直接指摘はされず、自由にやらせてもらったのは事実。

この会社を辞めた理由は1社目から言っている仕事を好きになれなかった(やりがいと生きがい)も要因ではあるけど、人生1回しかないなかで、
一生ここで働くのか、動き出さなくていいのか。チャレンジしなくていいのか。
もったいなくないか。というところに行き着いた。
仕事しながらも、自分のやりたいこと。(後で記す)をしなくていいのかを考え、ある程度の資金をため、準備をし退職を決意。
パソコン買ったりソフト買ったり自己投資をした。(総額30万弱)

決して長い期間とは言い難いがこの会社で学んだことももちろんある。
名の知れていない会社であっても前職のやり方が(個人で)通用したこと。会社からの評価は全くないが、誰にも媚びず頼らず、クライアントからの評価を感じられたこと。
もちろん失態はしたけども力を借りずなんとかできたこと。
頼れる人(先輩や上司)がいない状況を理解しながら動く力。

そしてなにより、自分の進むべき道を教えてくれたとも捉えている。

辞める直前は毎日吐き気に襲われた。
キャリアチェンジを決めたはいいが、とにかくここで働いている時間が無駄としか思えなかった。

退職を決めたのは10月末くらい。。。
僕の中では10末で退職を告げれば、引継ぎ含め、長くても1月や年内には退職受理されるかなと思っていた。
そしたら2日後くらいに上司から有給確認して最短で辞めて良いよ。って。

????ってなったよね。

テレワークではあったから、上司からは今日中にPCはすぐ会社に送って、
引継ぎはその有給前までに全部やって、明日から会社で仕事して。それで終わりでいいよ。って。

予想外。。。

会社にいってみたら、あいつは辞めるやつ。裏切り者だ。っていう雰囲気。
目も合わせないし挨拶もない。

きっとそんなことはないんだろうけど、僕はそう感じた。

最悪な終わりを迎えた1週間ではあったけど、改めて間違ってないことを実感した。

コロナ禍とはいえ辞めることに恐怖はなく、【人生】に向き合い、不必要なストレスや時間を取っ払いたく、先は決まっていないものの、先ですべきことは固まっていてたからこそ、辞めることで自由な時間を買った。言い訳じみた人生にはしたくなかった。

・第3フェーズの前に(好きなことして生きていく。)
会社を退社してからは予想外のことが起きる。
人生おいて、休む期間ってそんなにないから2、3ヶ月はなんもしない。って決めてた。その理由は学生の頃からアルバイトをしてお金稼いで本当に何もしない時間をあえて作る。休んでみたいと単純に思った。人生について深く、深く考えたかった。

普通は定年退職してからそんな時間はたくさんあるけども、
若いうちの時間は若いうちにしかない。どれだけ、この時間が大切でかけがえのないものか。味わったことのない人がきっと過半数だと思う。
(これが僕の病気を引き起こした原因でもある。)

・退職してから起こったこと。父親の死
(退職して2週間くらい)
僕の父は数年前に大腸癌ステージⅣ(末期)であることが発覚した。
発覚したときも元気ではいたし抗がん剤治療もうまくいっていたけど、結局は延命治療には変わりなく、そこから2年間は悪い時もあったけど、元気でいてくれた。でも他の臓器にも転移していた。父親も、死ぬ気がしない。後10年は生きれそうだよ。って言ってた。
亡くなってしまう1週間前くらいに父のお姉さんから連絡がきて、状況が悪化したからすぐに病院にきてほしいと。
行ってみたら、完全に痩せ細っている父、ベットの上で苦しんでいる父。
お腹が張ってしまって膨れて痛がっている父。意識朦朧の中、痛みに耐えて歯を食いしばって歯が欠けている。口の中は血だらけ。もちろん意識はない。
そんな父を目の前にして何も声をかけることができなかった。

コロナだから限られた面会時間の中、面会を終えてドクターに状況を聞く。
痛みが出てるため、すでにモルヒネ投与をしてます。
長くて2週間、早くて数時間です。できるだけ会いにきてあげてください。
ということでその日を終えた。
突如の事態で、現実を受け止めたくなくて、あまり覚えてないけど、確かその日の深夜2時くらいに病院から連絡あって、結局逝ってしまった。

(説明が遅れたけど、僕の家族は両親は離婚していて別居状態のため、ここから先、複雑な問題が生じる。)

本当であれば、親の死って何があるかわからないけど、後20年後くらいに起きていくのが普通。(実際に母のお母さん、お父さんは健在)

病院で逝ってしまった父を目の前にして、悲しんでいられるのも一瞬で、
看護師さんから、葬儀はどこで行いますか、ご遺体は自宅で一度持ち帰りますか?
そんな話をした。(省略)

離婚の家庭とは言え、僕ら兄弟は大事な父であったけど遺骨を持って帰れる訳もなく、叔母さんが引き取ることに。
そこから一度もお線香をあげることもできず、49日の法要を迎えた。
許可なく預金を持ち出されたり、常識知らず。と言われ、結局絶縁状態に。
その他、父の住んでた家の引き払いや関係各所への連絡、役所の手続きなど本当に未知なことをやることだらけで、悲しんでる暇なんてない。

退職してから、父の逝去、それに伴う手続き、叔母さんへのストレスものすごく辛い時期だった。本当に疲れた。

また母のお母さん、お父さんも老衰とボケが始まっていて、
おばあちゃんに関してはコロナに感染。なんとか乗り越えたものの、
ペースメーカーを入れることに。。。。(2人とも先はそんなに長くない。)

なんでこんな立て続けに不幸が起こるんだろう。

・第3フェーズ(好きなことしていきていく)
具体的に自分が職にしたい仕事やことは何かというと、映像や動画の制作。
その理由は、高校からYouTubeに興味があったけど、のらりくらりと大学を卒業しその頃は、動画で食べていく。なんて想像もできなかったしこの業界は浸透していなかった。学生の頃に夢みていた仕事をやってみたくて今に至る。
前述でも記載はしたけど、この道を選んだことは後悔はない。

ただ転職活動がなかなか上手くいかない。
11月からニート生活をしている訳でそんな中、不幸もあり精神状態も不安定のまま転職活動を行なっていた。

本日までで、なんとか数社(片手で数える程度)内定はいただいたものの、
第一志望は落ちてしまった。
今回の転職は僕の中でも納得のいくまではやりたくて、中途半端に終わらせたら後悔や悔いを残したくないし、別業種へのシフトチェンジはするつもりはない。
だからまた振り出しに戻ってしまったよ。。。

何のためにコロナ禍で退職したのかとか意味がなくなってしまうから、
ここだけはこだわり持ってやっていきたいと思ってます。

ただ、業界や求人は圧倒的にすくなく本当にうまく進まないんだよね。
予想はしてたけど遥かに超えてきたというか。

そしたら不安に潰されて、行き着いた先、転職先で失敗したらどうしよう。とか、生きてて良いことなくね。とか悲観的な考えになって、自分の人生振り返ってたら病気になった。

混合性不安抑うつ障害について
僕が抱えている具体的な症状についてお話します。
・不眠
・吐き気、嘔吐
・食欲不振(1日0.5食)
・下痢
・お腹が張る(変な緊張や力が入る)
・常に心臓がバクバク(特に夜)
・お腹が空いているけど喉に個体が通らない。
見たものや聞いたもの全てが自分に対して煽っている気がしてしまう。攻撃的に聞こえる。
人の前だと気丈に振る舞えるが一人になると生きていて楽しくないと言うことをずっと考えてしまう。
・手の震え、寒気、体重減(43キロになった。)
・寝ても身体が疲れていないため、2時間で起きる。
・家族ともコミュニケーションが取れず、部屋に籠りっぱなし。
・とにかく涙が止まらない。

こんな症状が僕を襲った3月上旬。
本当に笑っちゃうよね。(今は食欲も回復し体重も戻ったよ。)

病院には行ったけど、解決方法は時間と根性論ではあるから負けずに頑張るのみ。
3月は酷かったけど、今はだいぶ落ち着いていて、ほぼ完治したと思ってる。
再発するとしたら、これ以上のことが起こった時になるらしいからそれはないと思う。

・失態
この精神的病を知った時、誰にも吐くことができなかった。
その理由としては精神的な内容は先ほども記載したけど、
気合い、根性、時間が解決でしかないのはわかっていて、
こんなの誰かに言う必要はないし、誰にも負担も迷惑かけたくない。
とにかく自分が弱くて情けなくてみっともない反面認めたくなかったから、吐露することはできなかった。

でも辛くて辛くて、どうしようもなくて、
発症から約1ヶ月後に友達に状況を説明し守ってもらってる。
土日遊ぼうとか、買い物いこうとか、ゲームしよとか、大丈夫か?とか本当に人の暖かさを感じたのと、自分がどれだけ弱い人間であるか実感した。

・幸せとはなにか
昨今、おめでたいことに結婚や出産の報告を耳にするしいいな。とは思うけど
今の僕の幸せの観点はそこにはなくて、心身ともに健康でやりたいことをしてキラキラしているのが自分の幸せだと思ってる。
別に大金持ちになりたいとか、いい時計してかっけぇ車乗ってとかではなく、
何となく仕事してとかなんとなく過ごす日常より、人間味があってやりたいことやっているのが幸せ。

いずれ人間は死ぬのだから生き方くらいは選んでも良いよね。
生きていればいい事あるよね。

冗談抜きに毎日泣いていた3月。
弱い自分と決別し次に進むわ!

みんな本当にありがとう。
もう少しだけ頼ります。頑張って生きます。

この数ヶ月で自分自身についてもだし色んな事を考え、経験したのは間違いない。
自分の弱さを認めて周りと接していくことは本当に大切なんだと思う。
これまで乗り越えてきたけど、大事な人とは全てを曝け出して接していかなければならないと思った。これまでは強いぶって虚勢張っていただけ。

note含め他SNSに投稿ができていなかった理由はこんな感じです。
一旦気持ちをリセットして強く逞しく生きていきます。

僕にはこれまで支えてくれた人、応援するって言ってくれた人、そして家族含め、僕には認めてもらいたい人がいる。がむしゃらに頑張る。いい報告できるように頑張るね。

p.s約8500字書いてたわ。
※原稿用紙は1枚400文字、8000字は原稿用紙20枚分らしい。
↑追記するとすごく長いの書いたなと思うよね。笑

またね〜☆


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