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ターニングポイント(Chapter2-Section1)

 事態や状況が大きく変わる。新しい方向へ進むための決定的な瞬間。
 生きていると、幾つかの「ターニングポイント」があります。

 ボクたちは人生の主人公でありながら、誰かにとっては敵の「アンタゴニスト」で、誰かにとっては助言者の「メンター」であったりします。
 また、誰かにとっては「サブキャラクター」。誰かにとってはユーモアを与える「コミックリリーフ」。誰かにとってはターニングポイントになる「ヘラルド」といった役割も与えられています。

 ボクは1991年にホームレスを体験。宮下公園を寝処にし、冬は山手線で寝て、2週間に1度の頻度で友人宅に泊まり、その1年半後、念願の部屋を手に入れた。
 1993年は、就職氷河期が始まったことで知られますが、本当に仕事が減ってしまい5万円の家賃が払えなくなった。
 1年もたたず平屋に引越しました。汲み取り式トイレ。2部屋あったので妥協できました。
 
 ボロ住まいで相変わらずの困窮ぶり。若い頃はお金がなくても遊べるもので、よく歓楽街で友達とくっちゃべっていた。また、友人たちが生活苦を忘れさせ一時の幸福を与えてくれた。
 歌舞伎町やなんばの路地裏でたむろする若者の気持ちは、なんとなくわかります。これ以上、生活は良くならない。希望や未来も持てない。今をおもしろおかしく生きていく方がマシ。
 
 あの頃は、露天商が多く、シルバーアクセサリーを外国人が売っていた。余裕ないので買いませんが、いつも前を通っていたので、自然にその外国人と挨拶を交わすようになっていました。

 ある日のこと。駅前広場の奥で、大きな荷物を横に膝を両手で組んで顔を落としていた。落ち込んでいるようにも見えました。金髪だったので日本人ではない。例の外国人っぽくて「ハロー」と声をかけると、泣いていた。
 英語は苦手。片言の英語しか理解できませんでしたが、要約すると、住むところを失い、風邪もひき、頼れる人もなく一晩中ここにいた。
 確かに顔が赤くほてって高熱があるようでした。
 
 放っておくこともできず「家に来る?」と誘いました。荷物を背負って疲労困憊している外国人を支えながら帰路につく。
 布団に寝かせて、風邪薬は外国人にも効くのかな?などと考えながら薬局に。その後「2日ほどバイトを休ませて欲しい」と電話すると「ずっと休んでていいよ」と言われ、「まあ、そうなるよね」と。

 さほど気にもせず、お粥を作って食べさせたり、水分補給したり、熱を計ったりした。1週間ほど寝込んでいました。
 徐々に回復していくと、みすぼらしい部屋の環境に気づいたのでしょう?
 「あなたも、ちゃんと食事をとったの?」と聞かれ、嘘をつく英語力もないので「食べてない」とジャスチャー。フォローするように、「ボクは10日食べなくても大丈夫なんだ!」と笑って答えました。
 「ごめんなさい、ごめんさい」と平謝りするので、「本当に平気だから気にしなくていい」と釈明に追われた。
 
 「しばらくここにいてもいいか?」の申し出に了承すると、「お礼に英語を教えてあげる!」と喜んでいた。
 ボクの方は、普段英語が話せなくても困りはしないのだが、意思の疎通に困るので仕方なくそれを承諾します。
 
 肌は白いが、白人っぽくない。「あなた、どこの国の人?」と尋ねると「イスラエル」と言っていた。
 「もしかしてユダヤ人?」と聞き返すと「そう、Jewish」と答えた。
なんでこんなところ(日本)にいるんだって思いました。

 路上生活に突き落とした親方が、ターニングポイントとすれば、この人も人生のターニングポイントになりました。

 みなさんは、ユダヤ人にどんなイメージを持っていますか?大富豪?お金持ち?世界の金融を牛耳っている?
 ボクの場合、聖書に登場する民族です。
 
 ロスチャイルド、ジョージ・ソロス、シュワルツマン、ウォーバーグは、20世紀初頭の国際金融に大きな影響を与えました。牛耳っているとされる所以です。
 大富豪?お金持ち?実は、お金持ちのユダヤ人もいれば、そうでないユダヤ人もいます。経済的な格差はどこの国にもあります。しかし、彼らの思想の根本に「お金」に対する善きリテラシーも存在します。
 それを学ぶ機会を得たことで、ボクはお金に対する考え方が180度代わりました。

 次回は『ユダヤ人(Chapter2-Section2)』です。

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