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オットが障害者になったことであきらめるって事ができるようになったはずやけどあきらめられんかったこと

18年間のオットの介護生活で、人生は思い通りにいかないことを知り,あきらめないと前に進まないことも学んだはずやったけど、今回ばかりはあかんかった

母の近くにいる人と介護に対する意見が食い違った。
でも口出しできる身分じゃないと
一度はあきらめた
母の人生に口出しはしないと決めた
母の人生に口出しはしないということは、
母をあきらめるということ。
でも母をあきらめることは間違いだと
ずっと思ってしんどすぎた

母はとにかく頑固な人で
私ではどうにもならへん
例えば米寿のお祝いも絶対してほしくないと言い張った
理由は「長寿のお祝いをしたとたんに
ホッとして亡くなってしまう人がいる」
と本気で思っていた
家族全員でせっかく九州まで帰ったのに
ちらっとご飯を食べただけ
お祝いの宴は断られた
万障繰り合わせて休みを取ってくれた息子や娘、
そして要介護5のオットに
悪いぐらい母は頑なだった

意地悪ばあさんや…
せっかく帰ったのに…
お母さんはかわいくない…
私はそう思っていた
その母が3月に調子が悪くなり、入院。
すぐ退院できたけど
訳もなく5月にまた入院させられると聞いたとき
断固として反対だった
入院することは筋力の低下を生むし
認知症だって進む
私の福祉仲間は口を揃えてそう教えてくれた
それは私自身もオットの入院で体験済みのことだった

でも母は入院することになった
「お母さん入院はしたくない。断るわ」
と電話口で母は言っていたのに
蓋を開けたら結局家族の勧めで入院…
そして寝てばかりの入院生活がまた始まった

その時私は
お母さんのことはあきらめよう

そう思った
いくら母のことを案じても
こんな遠いところに住んでいる私に何ができるん?
オットの介護は経験済みやけど
親の介護は初めてやんか
毎日こんなことを自問自答
考えたら寝れんくなって
悲しい気持ちで
涙ばかり出た
あの焦げたような真っ黒な手を思い出しても
私にできることは何もない
何もないやん
オットと実家に帰ることも真剣に考えたけど
障害の重いオットはどうなる?
私の仕事はどうなる?

私は高次脳機能障害の啓蒙活動と
福祉の事業所をしている
オットと同じ障害のある方の居場所
そこをほったらかしにして実家に帰るわけにはいかない

毎日、悩んだけど
母のことをあきらめるっていう選択肢しかなかった

大好きなお母さんやのに…でも
お母さんのことに口出しはしないと決めた
辛くて、胃に穴が開くんとちゃう?っていうぐらい
しんどい決断やった
こんな時私はオットが元気やったらなぁ~と
思ってしまう

要介護5のオットをほったらかしにはできない

自分の身の上をつくづく情けなく思う
もし、オットが元気やったら
「お母さんの面倒見に帰ったりぃ~」と
100%言ったはずや
何なら「僕も一緒に帰るわ~」って言いそうや
なんでオットは高次脳機能障害なんてなってんねん!!

普段忘れたふりをしている感情が、
波のように押し寄せてきて
私を飲み込もうとする

あかん
なんぼ考えても
オットは重度高次脳機能障害やし
私がオットを置いてお母さんの所に
帰ることはできないねん!

だから私は母の方をあきらめた
全然オットのせいじゃないのに
誰かのせいにしないと
私は1秒だって立っていられないぐらいしんどかった
母をあきらめるしか
心に折り合いをつけられる方法が見つからんかった
そんな5月
とてもしんどくて
もうずっと続けているブログも全然書けなくなってた

その間に母は急に退院していた

混乱した頭で…
しかも何のサービスも利用せず
長い一日をまた一人で暮らす⁈
田舎ののんびりとしたやり方に
イライラしながら
大丈夫なのかと気持ちばかりが苦しかった
苦しくてもそのやり方に
「口出しをしないこと」に徹した

そんな中母は一人で転んで骨折
また入院

あかん!こんなのあかんって!
こんなこと繰り返して
お母さんがどんどん弱っていくやんか

やっぱり私
お母さんと暮らしたいって気持ち
あきらめられんかった
やっぱりお母さんを一人になんてできない!
ダブル介護やけど、何とかなるって!!!
 
あきらめようって決めた時より
今は心が随分楽になりました
エネルギーを未来にむけられるようになったからかな

きっと大丈夫

お母さんが大阪に来てさえしてくれれば
きっとうまくいくはず…   知らんけど


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