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多様性の悪魔

 最近、考えるのは、多様性という言葉。

 「ダイバーシティ(多様性)」とは、さまざまな社会、民族的背景、異なる性別、性的指向など、それぞれの人々が持つ多種多様なバックグラウンドのことです。 また、個人の違いを認め合い、尊重し合うことも指し、ダイバーシティは一言で定義することが難しい言葉とも言えます。

スポーツを通して社会貢献活動を応援するメディアより引用

 いい言葉だし、本当にこうなって欲しいとは思いますが、実際はそれを悪用して、何言ってもいい、何を言っても、許される免罪符になってるんじゃないかって、気がしてなりません。
 こういう言葉聴く度に、この言葉は幻想で、今の社会はその皮を被った悪魔たちが、己の欲望を満たす為、自分のエゴの為の都合のいい言葉になってるんじゃないかって、凄く考えてしまいます。

 僕自身、煮詰まっているのかもしれません。
 しかし、最近起きたあの事件以降、流れがどんどん、悪化しているような気がして、なりません。
 本当の多様性とは、一体何なんでしょうか?

 多様性=何を言っても、許されるではないと言うことではないと思うけど、ポリコレもうるさいからねぇ。
 未だにポリコレという輩を何となくでしか、理解出来ていません。
 あんまり、関わり合いにはなりたくないんですけども。
 本当に多様性言うなら、何言っても、許されるんじゃないのか。
 多様性を盾に、言いたい放題言う連中の何と愚かなこと。
 
 本当の多様性とは、一体何なのか。
 弱い物いじめをする大義名分なのか、それとも、色んな意見を肯定して、よりよい社会にするための考え方の一種なのか。
 確かなことは、どんな時代であっても、言っていいことと悪いことに変わりはなく、どんな理由であれ、言葉は人を殺せる最大の武器ということだけは、忘れないで欲しいもんですね。

 こんな喧嘩売るようなことはやりたくないんですけど、どうせ、誰も、こんな駄文を読む暇はないと思うんで、書き記しておきますね。
 ただ、自分の言っていることが、絶対的に正しい言葉は無いのかもしれませんね。
 
 

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