多様性の悪魔
最近、考えるのは、多様性という言葉。
いい言葉だし、本当にこうなって欲しいとは思いますが、実際はそれを悪用して、何言ってもいい、何を言っても、許される免罪符になってるんじゃないかって、気がしてなりません。
こういう言葉聴く度に、この言葉は幻想で、今の社会はその皮を被った悪魔たちが、己の欲望を満たす為、自分のエゴの為の都合のいい言葉になってるんじゃないかって、凄く考えてしまいます。
僕自身、煮詰まっているのかもしれません。
しかし、最近起きたあの事件以降、流れがどんどん、悪化しているような気がして、なりません。
本当の多様性とは、一体何なんでしょうか?
多様性=何を言っても、許されるではないと言うことではないと思うけど、ポリコレもうるさいからねぇ。
未だにポリコレという輩を何となくでしか、理解出来ていません。
あんまり、関わり合いにはなりたくないんですけども。
本当に多様性言うなら、何言っても、許されるんじゃないのか。
多様性を盾に、言いたい放題言う連中の何と愚かなこと。
本当の多様性とは、一体何なのか。
弱い物いじめをする大義名分なのか、それとも、色んな意見を肯定して、よりよい社会にするための考え方の一種なのか。
確かなことは、どんな時代であっても、言っていいことと悪いことに変わりはなく、どんな理由であれ、言葉は人を殺せる最大の武器ということだけは、忘れないで欲しいもんですね。
こんな喧嘩売るようなことはやりたくないんですけど、どうせ、誰も、こんな駄文を読む暇はないと思うんで、書き記しておきますね。
ただ、自分の言っていることが、絶対的に正しい言葉は無いのかもしれませんね。
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