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頼むことは罪ではない

子育て中の女性たちと
話していると

「そんなこと…頼んじゃえばいいのに…。」

って
思うことが沢山ある

わたし自身も
頼み下手なので
良くわかるのだけども

今では

心理テストやってみたら
甘え上手度80%でした!

そこは気にしなくて
良いんじゃない?

って、
人には言えることを
書いてみようと思います!

その人にしかわからないこと

わたしは
ゴシップが
好きではありません

政府やメディアを
批判することも
するつもりはありません

ましてや
他人のご家庭についても
色々と口出しする気もないし

著名人の方々の
色恋沙汰などに
とやかく言うつもりもないし

そういう会話には
テレビをほぼ観ていないので
入ることが出来ません

何事にも
矢面に立つ方というのは
そうなる為の努力があった訳だし、

さらには
裏方で頑張っていらっしゃる
人々が沢山居る訳で

現場の表面しか
観ることの出来ていない
わたしには

そこに口出し出来るほど
学識も経験もあるとは
思えないからです

それ以上に
誰もが苦難を抱えたり

そこに至るまでに
どんな環境があったかは
知る由もないことだと

思っているから
かもしれません

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意見は言いますし
わたしならどうするかは
お伝えすることは出来ますが、

その真意に対する良し悪しに
言及しない姿勢でいる
それがわたしなりの
リスペクトだったりもします。

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理想の〇〇になれない、完璧主義

私は俗に言う
「理想の母親像」を
追い掛けて来ました

離婚で
理想の妻には
なれなかったけど、

シングルマザーでも
息子を立派に育ててみせる!
そう躍起になってました↑

お弁当は冷食入れないとか、

出汁の素使わないとか…ね。

今考えれば
笑っちゃう様なこと…苦笑。

遡れば私は
理想の娘であろうと
していたし、

理想の女性像を
追い求めて来た
のかもしれません。

が故に
ギスギスしてたし
失敗すると立ち直れなくなったり

理想通りに出来ない自分に
いつも卑屈になっても
他者批判する勇気もなく

悶々と過ごしていました。

その理想の敷居が
高過ぎたからかもしれないし

リアルに描けるほど
好きなことじゃないことを
無理矢理やろうとしてたから
なのかもしれません。

完璧主義が故に
諦めも早かったり

逆に
意地になって
色んなことをやり続けたり

私って不器用だったなぁ…と
思いますし、

今も中途半端で
実は…出来ないことが多い。

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こんなわたしが今や
「ケセラセラ」になったのは

歳を重ねたことで
思うように出来ないこと
増えてきたことと、

振り切った性格の
息子からの
叱咤激励やらで、

完璧主義をポイ!

っとしたことで

暖かい周りの人々に
包まれる優しさを
知ることが出来たし、


「わたしは
 私の出来ることを
 やったらいいんだ↑」

って思えるように
なったからだと思います♪

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テレビを観ない選択

私はある時から
テレビやゲームを
手放しました

特に報道系は
見ることをしなくなりました

情報過多で
偏り過ぎてしまいがちに
なることと

圧倒的に
時間が足りなかったから

です。

情報網は
自治体からのメールや
職場や大学から届きますし

流行りものは
子どもたちがセレクトしたものを
チェックする程度で良いな!ってこと

そもそも
「それ、先生知らないから教えて〜♪」
って聞いたら

子どもたちの好きなものなら
上手に要約して
伝えてくれますし

解らないことを
教えてくれることで
その子の説明力も上がりますし

わたし自身の理解力の鍛錬にも
なるかもしれないし!(てへへ)

その中で気になるものだけ
検索すれば充分かな?と
感じた訳です。

意外と
気にしなくちゃならないことは
周りの人が教えてくれるし

子どもたちは
より厳選したものを
伝えてくれるんです

それに
心理学を学び
福祉の現場に入るようになって

今まで観てきたものが
問題のほぼ一部の偏りで

結局
当事者同士の問題や
周辺環境に留意されていないこと

物事の表面だけを観て
判断することの
危険性と脆さと意味のなさを
痛感したからでもあります。

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頼めなかった…過去。

わたしは第一子なこともあり
頼むことが苦手でした↓

じぶんでした方が
早いこともあるし
納得出来ると思い込んでいたから

だけど
43歳のころ
それを意地でやってきてたら

「要精密検査」の封筒が
届いちゃいました↓

30代の頃より
体力も気力もあるっていうことを
自負していたのに…涙。

実は仕事をしながら
家事をしなきゃ!と躍起になって
ほぼ徹夜の日々だったり

当時の勤務状況も
正直…限界だったのに
家事がおざなりになっていることを
責められている気がして
凄く窮屈だったんです↓

答えは簡単

「出来ません!助けてください!」

って言えば良かっただけだったのに

一人では出来なくても
力や知恵を合わせれば
多くのことが乗り越えられるし

頼まれた方も
その人にとっては
簡単なことをするだけで

感謝を貰えたり
役割や居場所を得られるから
精神的にも落ち着きます♪

・*:..。o○☼*゚・*:..。o○☼*゚・*:..。o○☼*゚

as a result of…

結果!

流行には鈍感になったかも…だけど、

余計なことを考えたり
先を急ごうとする焦りは
少なくなりました♪

段々と
流行りに乗るなんて
恥ずかしいとか

人に任せるなんて
愚かだ!

みたいなプライドや
マウント取りも
必要無くなりました!

固定観念も
特に要らないと思うように
なって来たし

理想の◯◯にならなくても
わたしは私で良き!
って思うようになったし

自分は何者か?を
捜す必要すら無くなって
(勝手にそうなって行くので)

流れを読みやすくなって来た
気がします

人付き合いも
変わって来たし

誰々が何をしているか?とかも
結構どうでも良いっていうか

それより
今周りに居てくれる人たちを
どう楽しませて行こうかの方が

ずっと楽しいことなので
それをさせて貰える
空間が出来てます!

それに
わたしには簡単で楽しいことが
集まるようになったし、

モヤモヤすることとは
距離を置いて忘れておくと
その真価が判るので

必要とあらば
戻って来るし

勝手に入ってくるので

ウダウダ考える
時間が減って来たから

疲れよりも
楽しい!の方が増えました!

ホントの優しさを
知ることも出来たし

話も相互に
出来るようになったし

何より
可愛がられるように
なれた気がします!

難しいことは
未だ多々あるけれど、

わたしが苦手な
段取りとか片付けとかも
教えて貰えるので

作業効率も
上がって来ました☆

理想を追うことより
目の前の子どもたちの今
しっかりと見つめて行くことで

子どもたちやおうちの方々との
距離感も
近くなって来た気がします!

理想を掲げて
追い過ぎてた頃より、

子どもたちや周りの人たちの声も
わたしが聞こうとしなくても
聴こえて来るようになりましたし

クリエイティビティ感も
柔軟になってきて
閃いて来たりもするんです♪

それに、
こうしたら?とか
アイディアのヒントも集まるし!

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頼むことって、相手の為にもなる

頼んでみることで
自分の時間も増えましたし

悩む時間は
圧倒的に減りました!

頼むかどうかを悩んでた
そんな時間の方が
余程勿体なかったことに
気がついた訳です。

それに、
頼んだほうが

私の思い込み以上の
結果や成果が出せるし
アイディアも拡がるし↑♪
頼まれた方も
逆に
頼みやすくなることも知りました!

今まで
頼むことに対する
罪悪感があったけど

最近は寧ろ

頼んだ方が相手の為になる

くらいに考えてます♪

そしてわたしは
今日も子どもたちに
お願いするのだけども…ね♪

子どもたちは
おとなを模倣しています

ならば
おとなの私たちが
関係性を整えることが大切♡

そして
頼んでみることで

子どもたちは
自己肯定感を上げる
きっかけを得られるのならば

頼むことって
罪どころか

寧ろ
お願いすることは
学びのきっかけを与えること♡

それも
対子どもたちにだけではなく

おとな達に対してもだと
気が付けました!

私たち保育士としても
子育てに関しての質問から
学び直すことも出来て
とても助かりますし♪

どうせ頼むなら
「お願い」のほうが「強制」より
やり甲斐も感じられますし!

迷っているくらいなら
じゃんじゃん頼んじゃって

おうちの方々の
笑顔を増やして

お子さんやパートナーや
みなさんの
学ぶ機会を増やしませんか?

Mahalo nui loa♪

「日本にクリエイターを増やしたい!!」 ★保育士しながら認定心理士資格取得★ パート→非正規→正規(無認可)→正規(認可) →フリーランス保育士・児童指導員 保育士時代に学んだ心理学を 子育てや保育、描画コンテンツに 生かし実践! 主体的で能動的な日本人を増やし続けてます♪