ファッションについて考える
上はユニクロのボーダーカーディガンを、ボタンを全てかけてトップスとして。ボトムは同じくユニクロの黒のスラックスを。
足元はダイアナの年季が入った黒のパンプス(かれこれ3年くらい履きまくって履き潰している)。
カバンは唯一ブランドものの、黒のロンシャン(ただこれも、毎日のように使い倒して汚くなっている)。
アクセサリーは特につけていない。
こちらは私の最近の私服である。
ファストファッション(というかユニクロ)で固められた格好である。
ファストファッションについて考える
ファストファッションは「ファストフード」になぞらえて、2000年代半ばから呼ばれるようになったらしい(出典 : Wikipedia)
手頃な価格で流行を楽しめるファストファッションは、一躍庶民の間に流行を広める役割を担う。
元々ファッションには、自己表現としての大きな役割があった。「自分がどのような身分か」ということを、外部の人間に知らせる役割りがあったのである。
しかし、ファストファッションの流行によって好きな格好を選べる時代になり、さらにはSNSの普及によって「ファッションリーダー」「インフルエンサー」が台頭する。
「どれだけ流行に乗れているか」ということで自身の価値を測られる。流行が変われば服を捨て、また新しい服を買う。
ファストファッションの普及がもたらしたのは、服装の多様化ではなく、単一化だったのかもしれない。
今一度、服に対する見方を変えてみる
毎シーズン、流行が変わるたびに「ああ、この服はもう着れない」と思う服の多さに落ち込む。
それなら、自分を縛っている「流行」という呪いから自分自身を解放することが、生活の質を上げてくれるのではないか?
1) 服にはその服の歴史がある
服に対しては別の見方ができる。
それは、「服にはその服の歴史がある」という見方である。
新品で買ったお気に入りの服がある。
例えばポロ・ラルフローレンのベージュのニット。ラコステのポロシャツ。
これらは自分の体型や雰囲気にとてもよくフィットして、かつ品質も良いため捨てたくない服である。ニットがほつれても修繕して着続けたいし、シャツはヘタらないように大事に洗濯をしたい。
このように、誰かの手に渡ってもなおずっと大事にされた服は、100年以上前の服でもヴィンテージ品という名前で今もヴィンテージショップに売られていたりする。
服には、その服の歴史がある。
持ち主が気に入って大事にされた歴史のある服は、大切にされた理由がちゃんとある。
2) 自分のスタイルに合うものを身に付ける
そして、もう一つ別の見方ができる。
それは、流行という呪いに縛られるのではなく、本当に自分に似合うものを身に付けるというものである。
自分に似合うかどうかには、多くの基準がある。体型や肌の色、顔立ち、年齢、性格...etc。
自分に似合う服を探すということがそのまま自分を見つめ直すこととイコールになる。
パーソナルカラー診断だとか、骨格診断だとか、性格診断だとか、様々な“診断”が流行ってるのはきっと、画一の流行スタイルに飽きた大衆が自分を見つめ直すきっかけを探しているんだろうな。
ファッションは生活の質を上げる!
ファッションが「流行に乗るために必要なもの」だと、なんだかそこまでお金をかけなくてもいいやぁ...と思ってしまう。
でも「自分を見つめ直し、可能性を広げて、その服が持つ歴史も一緒に身に付けるもの」だとしたら?
お金をかけても、少しずつ自分のスタイルを作っていきたいと思う。
かつての封建時代のような「自分を外部に表すもの」としての役割を担ってもらう。
かつ、当時の社会で「身分」こそが自分を表すものだった時代から、現代は「生き様」が自分を表すものとして、自分のスタイルを作ってみたいなぁ...と、そんなことを考えた4月の平日。
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