いつも、全部おいしかった。【chapter76】
「私が一番すきなガリガリ君はグレープフルーツ味なの」
「ガリガリ君?」
「そう。ガリガリ君のグレープフルーツ味を初めて知ったときの感動はちょっと捨てがたいわよね。一口目を噛る前にきれいな薄い黄色をしばらく眺めるの。あと、そうね、キットカットを初めて食べたときも相当感動したわね、世界にはなんておいしいものがあるんだろうって、パキンって半分に割るときの至福ったらもう。
初夏のスーパーに並ぶアメリカンチェリーを見つけたときに瞬間、タカシくんの喜ぶ顔が浮かんだ叙情とかね。
今年も夏がきたって思いながら、同時にタカシくんを思ったこと。なんでもかんでも食べ物がらみね、私のリリカルは」
ソノコは朗らかに、健やかに笑う。
モノクロのソノコをリョウは思い出す。タカシの携帯電話の中、モノクロのソノコ。
ソノコが不在の夜。タカシの部屋のソファに並んで座り、二人、テレビの野球を眺めていた。
野球を横目に、いじっていた携帯電話をタカシが太ももの上に置いたとき、待ち受けの写真を見た。不躾にのぞき込まなくともモノクロの二人が見えた。
贔屓チームのリードのせいか、冷えたビールのせいか、幸せのせいか、タカシはリョウが太ももから取り上げた携帯電話を、奪い返すことなくテレビ画面を見つめていた。
ソノコへの情熱はまだ大人しく冷静だった。だから、リョウもまた躊躇うことなくモノクロのソノコを見つめることができた。
携帯電話の中のタカシは背中を向け、笑みのない、ほぼしかめ面の顔をソノコに向け、唇を頬に当てていた。当てているより食べているの方がしっくりくる、と、リョウは思った。タカシとは打って変わって「なにがそんなに楽しいのか」と聞きたくなるほどの笑みをこぼし、精一杯伸ばしているのであろうソノコの細い腕は、見切れていた。背景の、タカシの寝室の窓、恐らく昼間の空。
上半身だけが写るそれは、向かい合う体勢でタカシの太ももの上にソノコがのっているのであろうことを、容易に想像させた。様々な体勢に詳しいリョウでなくともきっと、誰もが一目でわかる。モノクロの剛健なタカシの背中に、見えないはずの湯気と汗が見えた。
「エロい待ち受けだな」
「お前こういうことしない人間だったよな」
と言うはずが、
「きれいだな」
嘘が苦手なリョウの口からこぼれた。きれいではなく、美しいが最適なのだろうと思うしかない写真だった。しかし沸々と沸くなにかしらの気持ちを、
「事後?」
の言葉に精一杯の皮肉を込め、リョウは吐き出した。
「違うから」
と、携帯電話を取りあげるタカシを待った。
「よく覚えてないけど、最中じゃない?」
全く予期しなかった、タカシの平らな声。リードのせいか、ビールのせいか、幸せのせいか。リョウは意地悪も茶化しも嘘も馬鹿馬鹿しくなった。ど真ん中のストレートはただ打つほかない。
「つくづく嫌な女だな」
リョウの言葉に、タカシはふふっと笑い、
「うん、でもかわいいよ」
野球を見つめていた、贔屓チームがリードのままきっと試合は終わる。
「これ、なにがエロいって、やってることと表情の乖離だよな。エロを美に昇華させる食えない女だな」
携帯電話の中のソノコは、子供のような笑顔で健やかに笑っていた。先を急ぐ男の太ももの上で、楽しそうに遊ぶソノコの低い声が聞こえるようだとリョウは思った。
写真を撮ったあと、その笑い声は、タカシの耳元で掠れる吐息に変わったのだろうか。満面の笑みは歪みへ変わり、タカシの上、身体は浮き沈みしたのだろうか。無意識に沸き上がった想像を消すため、リョウは携帯電話をタカシの太ももに返した。
「リョウくんの感性が好きだよ、前からわかってたんだ。ソノコとリョウくんはとても似てる」
テレビの歓声とタカシの声を、モノクロの記憶を思い出す。
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