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思い出という奥津城

 学生時代、大学の一号館一階でトイレを済ませ、地下にあるジャズの部室までの階段を踏みしめている途中……僕は、フト思ったものであった。

 ……もしかしたら、今が人生で一番幸せな瞬間なのかも知れない……と、……

 そう。地下の会議室でもある部室にはジャズクインテットのメンバー打ち揃い、お気に入りのテナーサックスも新しいリードを取り付け、肝心のアドリブにもかなり自信を持ち始めてもいたのだ。
 部室には女子を含め、何人ものギャラリーもいたし、何よりも、まだデートに誘う前とはいえ、入学当初から気になっていた、フェルメールの美少女さながらの、「ツンデレ女子」も見守ってくれるのだ。
 僕は部室に戻ると、さっそく火を点けたばかりの煙草を指に挟んだまま(つまり、カッコつけて)、バラードの「オールド・フォークス」を演奏する。仲間も心得たもので、すぐにバックに参加する。
 まさに、俺の独壇場だぜ! 

 自惚れも程々にしろ! 大向こうからのヤジも聞こえそうではあるが……人間という奴、生涯に一度位はそんな瞬間を持っていないだろうか?

 そうは言っても、今でもあの時の高揚感は未だに心に秘められている。

 ただし、ただしである。僕は過去の思い出というものを、ホームドラマに出てきそうな……アルバムを繰りながら懐かしむ、という趣味は持ち合わせていない。
 実際のところ、スマホなんかない時代だったし、その瞬間を納めたスナップなど残っていないのだ。
 心のフィルムに……などと三文小説みたいな比喩を使うことも可能だろうが、……僕にとっって「思い出」という奴は、「奥津城(おくつき)」と同義語に解釈している。

「奥津城」とは、古代、とくに神道系で「墓」のことを言うが、僕がなぜかかる古式の言葉をことさら使うかと言えば、まあ……単なる言葉の手触りという趣ではあるが、一般の「墓所」というよりも、深く遠い場所……というイメージを感じるからである。

 そう。僕にとって「思い出」とは……もはや、手で触れることの出来ぬ深遠の世界に葬り去られた出来事でしかないのだ。

 もとより、終わってしまった世界の出来事を懐かしむことに異論はないが、それがもし「あの頃は良かった!」などと感傷に浸るようになったなら……人間もはや、脈が上がったと考えるべきだろう。

 過去とはすなわち、「他人の人生」なのだ。他人のエピソードから学べるものがあるとすれば、「感傷に浸る」ことでは断じてなく、未来を見据え、現在に修正を加えるためのヨスガとすることだと信じたい。

 以前にも触れた覚えがあるが、僕は時間というものを「過去−現在−未来」と進むものではなく、「未来−過去−現在」と発展してゆくものだと思っている。

 たぶん、若年期では「過去」など振り向かず、荒唐無稽の「未来」に思いを馳せるだろうし、これが老年期に達すると、「未来」には目を塞ぎ、「過去」を懐かしみ、その余韻として「現在」を生きようとするかも知れない。

 僕はここで、以前の記事の一部を引き合いに出してみたい。
 明治から昭和に叉がって活躍した平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)という彫刻家のことだ。
 百歳を超えても制作を続け、没後なんとアトリエには、あと三十年間は制作し続けるだけの彫刻用の木材が残されていたという。

 彼はたぶん、まず「未来」を見据え、「過去」に戻って自らの反省を噛みしめ……そして「現在」に戻って鑿(のみ)を振るったに違いない。
 多いに、見習うべきである。

 冒頭に記した、「甘い思い出」も今となっては、「懐かしさ」ではなく……その底に解け残っている……そう、かの「ツンデレ女子」の唇を奪えなかったという苦さこそ……今を生きるヨスガにしたいと考えている……

 

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