アシュケナージのショパン
日頃僕が聴いている音楽といえば、ジャズやロックが中心だが……案外クラシックも好むところである。
話によると、僕が生まれた時にはとうに故人であった祖父はクラシックファン(特にオペラ)で、夥しいレコードコレクションがあって、蔵書と共に、家族はこれを売って大黒柱急逝の急場を凌いだらしい。
とはいえ、僕自身が育った環境にはクラシック音楽は皆無だったのだが、なぜかショパンだけは耳底にこびりついて離れなかった。
実は、僕が住んでいる地区は庶民肩ひじ寄せ合うのしみったれながら、つい坂を上り詰めた先にはなかなかの高級住宅街が広がっていて、今ではチマチマとした建て売りも犇めくが、幼少の頃までは、芝生の広い庭……お決りの白いブランコ……なんぞの豪邸もあって、たぶん、その当りから流れてきたピアノの調べを憧れと共に心に留め置いたのだろう。
元来夢見る少年とあってみれば、ピアノを弾いているのは、てっきり白いドレスに長い髪の、ちょっと年上の美少女の見立てであった。
いずれにしても、これが僕のクラシック入門なのだ。
中学では当然クラシックではなくロックやポップス……そしてジャズへの関心を深めていたのだが、音楽の教師が自慢気に弾いたモーツアルトの「トルコ行進曲」(途中でミスしたが)を耳にした時には、かなりのカルチャーショックを覚えたものである。
以来、僕は……全く体系だってはいないのだが、いろいろとクラシックも進んで聞くようになったわけだ。
根拠は一切不明ながら、高校時代、恋に身をよじっていた当時はストラビンスキー……学生時代、哲学書を読みながら流していたのはバルトーク……母が心臓の病で亡くなった時には連日、モーツアルトの「レクイエム」を聞き続けていたものだ。
そんな中にあって、やはり一番愛したのがショパンで……これから綴ることは、全うなショパン、クラシックファンにとっては的外れかも知れないが、ご容赦願いたい。
ショパン弾きは多種多彩とは思うが……僕が好きなのはアシュケナージである。
もっと優れたピアノ奏者がいるだろう……と言われそうだが……随分前たまたま買ったショパン全曲集のようなCDがアシュケナージであり、まあ、これも一つの出会いなのだろう。
確かにショパン弾きには色々のタイプがいて……どちらかと言えばアシュケナージは平凡かも知れない。実際、ショパンコンクールでは二位だったと思う。
が、僕は案外とそこが好きなのだ。
そこそこ情感的ではあるが過度ではなく、抵抗なく聞きやすい。一時人気のあったブーニンなどは真逆で、彼などはちょっとやり過ぎの感で飽きも早い。
もとよりアシュケナージには色々欠点もあって、例えばベートーベンの「月光」など弾かせると……まあ、僕の個人的意見だが……トイレを我慢しながら弾いているように感じられるのだ。
ホロビッツあたりと聞き比べてみれば、優劣は歴然だろう。
それでも、僕としては抑制された感情を以て弾くアシュケナージのショパンはやはり好きなのだ。
ちょっと他の例を挙げてみよう。
僕の聴くクラシックジャンルはデタラメなので、バルトークを聞く一方でバッハなども好きなのだが、特にオルガン曲においては断然マリー・クレール・アランを愛している。詳らかに彼女の来歴は知らないが、たぶん苦労知らずのお嬢さん的なタイプかも知れない。だからオルガンを弾くに於ても、個人的な感情を込める……といった雑音が少ないのではないだろうか。
だからこそ、バッハを弾くにはウッテツケなのだと……
一部のショパン弾きのように、感情たっぷりにバッハが演奏されたとしたら……たぶん聞くに堪えぬものだと、少なくとも僕は思ってしまう。
話をアシュケナージに戻そう。
僕は、断じてクラシックの聴き巧者ではない。
だからこそ、「俺が弾いてるんだぜ」、といった自意識の薄いその演奏こそ……かっての夢の日々の……夢想の中の美少女の弾く幻のショパンと、ごく自然に結びついてくれるのだろう……
貧乏人です。創作費用に充てたいので……よろしくお願いいたします。