寛げる場所
世に「三上」という言葉がある。
アイデアが閃く、取っておきの三つの場所……即ち「馬上(馬に乗っている時)」「枕(ちん)上(寝ている時)」「厠(し)上(トイレに入っている時)」のことだ。
要は、広義に「寛げる場所」という意味である。
「馬上」は、僕にとってはさだめし自転車に乗ってる時だろう。マウンテンバイクとあって、スピードには無縁であり、あちこちキョロキョロ視線を遊ばせながら、ぼんやりと思考を巡らせるには最適かも知れない。
「枕上」は文字道理、枕を友として、考えを深めるには絶好の環境なのだろうか?
「厠上」はかって、ガキの頃の冗談として……「トイレは思考(シッコ)と空想(クソ)の場所」とおちゃらかしていたのだが、現実問題としては、長居はしたくないので、あまり役にはたたないようだ。
以前、友達と駅で待ち合わせ、来たとたん「ちょっとトイレ」というので、近くで突っ立っていたところ……なんと、二十分以上も待たされたことがあった。
「お前、何してたんだ?」 返ってきた答えに、「ちょっと考え事」「ふざけるな!」
……なんて経験もあった。
実際のところ、僕は言葉の原点らしい欧陽脩(おうようしゅう※北宋の政治家)とは違って、かかる「三上」で何かが閃くということはあまりない。
考えるまでもなく、「三上」に於ては、いっさい他人に迷惑がかからない。その点から見れば理想的なのだろうが、へそ曲がりの人間とあって、……推奨されると、どうも従う気分にはなれないのだ。
自転車に乗って考え事なんぞしていたら、つい信号無視で事故に遭いかねないし、横になると、高尚な思考よりも、「夢の鰻重」について考えがちだし、トイレなど座ると同時にペーパーをガラガラやっている口なので、発想のとば口にも立てそうにない。
困ったものである。
もとより、「寛げる場所」と言えば……他にもいくつか思い付くスポットがないでもない。お気に入りのcaféとか、公園のベンチ、美術館や動物園……寺社の境内……そう、バイト先でサボっている時、等々……。
「三上」同様、人に迷惑もかけず……一般には寛げる場所として異論はないかも知れないが……いかんせん、僕としてはチト寛ぎすぎてしまう傾向にある。考えようと努めてはみるのだが、逆に空回りして、頭は空っぽのまま精神は運動を開始しないのだ。
しかたがないので、結局僕は考えを煮詰める場所は自宅の、パソコンの前での沈思黙考ということに落ち着くらしい。その間、音楽も流さないし、もちろんテレビ等の映像もoff……せいぜい、コーヒーと煙草を輩とするだけである。
見事、無味乾燥の環境であるが、ここでひたすら「待つ」こと……これが全てなのだ。
我ながら曲がないとも思えるのだが……今、つらつら思い巡らしてみると……あんがい「人に迷惑をかけ」て……何かが閃く時があった気がするのだ。
そう。気心の知れた友人と、下世話の痴話から哲学問答まで……相手が興に乗る頃合い……はたと、何かが閃く瞬間がある。そうなると気もそぞろ……相手の話も耳に入らない。受け答えは、見事ぞろっぺえに落ちる。
僕が当の友人ならば……てっきり「絶交」を献酬(けんしゅう)代わりに突出すことだろう。
いけない。こんな性格では、彼女はおろか友人も寄りつかないだろう。
これからはせめて、「厠上」でのペーパーガラガラを先延べにする努力から始め、少しは欧陽脩に肖(あやか)りたいものである。
貧乏人です。創作費用に充てたいので……よろしくお願いいたします。