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めんどくせぇ……

 オタク界に有名な「ナルト」というアニメがある。たぶん、知らない人はいないだろう。
かく言う僕も、かなりのファンである。

 もとより様々な魅力的キャラが登場するが……僕が一番好きなキャラは主人公の「ナルト」でも「サスケ」でもなく、性格脇役で味を出している「奈良シカマル」なのだ。
 影を操る技の持ち主ではあるが、彼の本当の能力は忍術ではなく「頭脳」らしい。実際「軍師」といった役どころで、戦闘能力や体力はあまり芳しくない。
 アニメを見る時の癖で、好きなキャラに自らを投影することは一つの醍醐味であるが、僕のように筋力に自信のない身とあれば、まさにうってつけなのだ。
 かてて加えて、口癖の「めんどくせぇ」は、日頃の僕そのままとあれば、いっそう応援もしたくなる。
 
 当然、「めんどくせぇ」をぼやきながらも、とりあえず任務には全力を注入するし、滑るまでににはしゃぎ回る主役とは裏腹にクールなところも魅力である。

 いずれにしても、僕の場合……目覚めた瞬間から「シカマルモード」なのだ。起きるのも、着替えるのも、顔を洗うのも……めんどくせぇ。
 バイトも買い物も、食事を作るのも、シャワーを浴びるのも……めんどくせぇ。
 たぶん道端に千円札が落ちていても、拾い上げるのも……めんどくせぇ、かも知れない。

 そう。遍く日常の動作すべてが、めんどくせぇ……のである。
 我ながら呆れたものであるが、こうやって「めんどくせぇ」文章を綴っているのだから……たぶんシカマル同様、これを任務と認定しているらしい。

 思えば、世の「めんどくせぇ」の中にあって、最も「めんどくせぇ」のが「考える」ということかも知れない。

 「考える」という行為は即、僕に肉体労働を連想させる。筋肉弱者にとってはまさに「考える」のもオゾマシイのだが、……はて? なぜに「考える」が肉体労働を連想させるのか……。
 案ずるに、「考える」という行為はどこか「土木工事」に似ているからだ。土木工事といえば、肉体労働の中でも、かなりキツイ部類に入るだろう。
 すなわち、道路や橋や鉄道を造る役回りとあれば、当然筋肉弱者には物理的に不可かも知れないが……なに、建設現場は実は「土地」ではなく「頭脳」というわけだ。
 現実の筋肉こそ痛まないが、やはり肉体労働並の疲労は頭脳にこたえるものである。

 では、なぜ頭脳の土木工事が「考える」ことに繋がるのか?

 答は簡単である。

 常識だらけの退屈な、手付かずの地形を眺めているたけでは曲がない。そこからは、誰それでも容易に導きだせるような答しか見いだせないのだ。
 たとえばデフォルトで用意された道を通っているだけでは、決まり切った到達点にしか至ることは出来ないし、途中の景色も万人ご存知のステレオタイプでしかないだろう。

 だからこそ「土木工事」が必要なのだ。当然、我が頭脳は我が所有の私有地である。いかようなるデタラメの工事をしようと、文句を言われる筋合いはない。
 あり得ない所に道を切り開き、とんでもない所に橋を渡す。崖っぷちであろうとお構いなしにホテルを建設する。
 かくして、一般には見ることの出来ない景色も見渡せるし、通行不可と思われた都市と村落との行き来も可能になる。

 言うなれば、「考える」という行為は、とりもなおさず「人が見るとは違う景色」を見るための、無計画にして無鉄砲、荒っぽさと繊細のないまぜになった脳みその開拓にほかならない。
 人様からは単に失笑しか買わぬとしても、衝動的に掘り進めたトンネルの先に「雪国」ならぬ「夢の王国」が見えたとすれば、まさに人夫冥利につきるというものだ。

 当面、シカマルを自らのアイコンと思い定め……シュールな土木作業に従事したいと考えている。
 惜しむらくは本家本元の「奈良シカマル」とは違って、影を操って頭脳の外の悪役を、ひと時とはいえ足止め出来ぬことは……やはり嘆かわしい次第ではある…が…

 

貧乏人です。創作費用に充てたいので……よろしくお願いいたします。