蟻とキリギリス
公園の、ベンチの木陰でへばっていると……つい目の前を、ジョギング勇ましく走り行く人を見かける。
日曜日ともあれば、かなり頻繁に出くわすながめである。年齢層も様々、男女も問わない。
やれやれ、この暑さの中、なんで汗だくになって走るのか?
と、僕などは思ってしまうのだが……もしかしたら、健康面と同時に、その後の爽快感を期待しているのかも知れない。
確かに、走り終わったあと、冷水シャワーでも浴び、冷房の効いた部屋で飲む冷えたビールは格別なのだろう。
辛い思いをしたからこそ……その後の、幸せ。 ……なのだろうか?
思えば僕も、学生時代、家具運びの重労働のバイトの後、連れて行かれ店で飲んだビールの美味さは覚えている。
汗だくのジョガー達を何人も見送りつつ、僕はふとイソップの「蟻とキリギリス」の話を思い出した。
ガキでも知っている話である。特に日本では、若い頃は遊んでいないで、しっかり働けとの教訓だろう。
とは言え、この訓話……諸外国には色々な結末のバリエーションがあるらしい。
食い物を乞うたキリギリスに食事を振る舞い、以来キリギリスは後悔して勤勉になったとか……
行き倒れたキリギリスを、蟻たちは餌として食ってしまったとか……
しかし、僕の好きな結末は以下のもである。
食い物に困ったキリギリスは、夏の間に鍛えた音楽の芸を以てコンサートを開き、チケットを売りさばいて、呑気に暮したというものだ。
確かに、夏の間、蟻たちは肉体労働に懸命ながらも、……果たしてキリギリスを遊び人と非難できるのか?
なに、キリギリスはアーティスト……すなわちミュージシャンなのだろう。
蟻の運ぶ食料は確かに、最重要ではあるが、それだけでは「生きる」ことには値しないはず。
もとより「蟻とキリギリス」の話から何を読み取るかは、各人の自由だろう。
そう。正解など、世の中には存在しないのだと思う。
ところが、世には一つの価値観に正解を求め、それ以外を異端として貶める傾向が強い。
相変わらず、蟻の勤勉を誉めたたえる人も多いのだろうが……この時代、老後の幸せなど絵に描いた餅に過ぎないのだ。
せめて、美味いビールのため……僕としては、ジョギングよりは弾き語りの方を選びたい。遊んでいる……と、非難されようとも……
貧乏人です。創作費用に充てたいので……よろしくお願いいたします。