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定番の味

 スーパーやコンビニのカツ丼があまりにも美味しくないので、久しぶり……以前よく出前を頼んだことのある蕎麦屋に入ってみた。
 昼下がりではあったが、客は僕一人。あんがい、閉店も間近なのかも知れない。
 取り合えず小上がりで胡坐を組み、カツ丼を注文する。

 思えば、地元商店街から馴染の店が次々に消え、コンビニやチェーン店系の飲食店ばかり犇めいているのだが、この蕎麦屋はやや商店街からは外れた道筋に位置し、僕がガキの頃からお馴染の、昭和の遺物と言える。

 アルバイトらしい割合若い女の人が、じきにカツ丼を運んでくる。丼の柄も、付いてくる黄色いタクワンも、ニヤッと笑ってしまうほどに懐かしい。
 カツと卵の佇まいから匂い、食味……記憶に残るままである。美味い!

 つい厨房を覗き込んでみると……でっぷり太った眼鏡の調理人。はて、前からのオヤジ……今でも現役か? ……と思いきや、遙かに若く、てっきりその息子のようであった。だいぶ前だが、当時見かけた時は、ヒョロヒョロと痩せていたものだが、やはり遺伝とは恐ろしい。
 
 カツ丼を食い終わる頃、扉を開け、岡持を手にした白衣の男が入ってくる……そう。以前のご主人である。相変わらず太っているが、めっきりと白髪が増え、……たぶん今では調理は息子に任せ、出前担当なのだろう。

 食い終わり、かってなら一服というのころなのだが……ここ何年もの間、外出時に煙草は持参しない。

 代わりにお冷のお代わりを頼み、つらつら考える。
 代は息子に変わったが、味付けや盛りつけのふぜい一切変わることの無い……定番の味。
 その味を前々から知っている身としあれば、安心も出来るのだが……やがては、時代の風に吹き流されてゆくことだろう。

 思えば、こういった個人の飲食店には二通りある。この店のように先代からの味を頑なに守り続けるのと、新しい客層を求めて新機軸を打ち出す場合である。
 前者には所謂「名店」が多く、格式と伝統を重んずるだろう。例えば「鰻」ならこの店だ……と美食家の覚えもめでたい。
 しかし、街の小さな店で、特別に特色もないような場合、地元のご老人あたりには「いつもの味」として重宝がられても……先はない。
 一方、創意工夫を以て、新機軸を打ち出す冒険に踏み出したとて……成功する率は極めて低い。

 そう言えば、僕が小学生の頃、近くに出前専門の洋食屋があって、時々ハンバーグなど頼んでいた記憶がある。見事チープな奴なのだが、これがなんとも微笑みを誘う美味さなのだ。聞き知った話なのだが、この店のご主人、長年協力してくれた従業員に店の権利を譲って引退したらしいのだが……その後も、先のハンバーグ、味からパセリの位置まで寸分たがわずのコピーであった。

 今でも、時々懐かしくなるのだが……最近のグルメを気取った店等では、あのチープな美味しさは味わえなくなった。

 僕はふと我に返り……丼の底に微かに残っていた飯をかっ込み、スマホではなく、現金を以て代金を払い店を後にした。

 カツ丼にしても、ハンバーグにしても……はっきり言って名店の味とは程遠い。しかし、僕は……この人間味溢れる美味しさをこの先も、舌に残しておきたいのだ。

 

貧乏人です。創作費用に充てたいので……よろしくお願いいたします。