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目の前の人は誰ですか?

先日、近くに住む義理の母が体調を崩した。
入院するほどではないが、身体が思うように動かないとの事で、妻が看病を兼ねて顔を出すようになった。オレの世界を生きる「昭和の父」である夫を、常に影になり支えてきた温和な義母。

妻にとっては、何かと口煩く厳しい父に比べて、温和でいつも味方になってくれる母。そんな母への恩返しの気持ちもあり、毎日通っていた。

大切な人の為に動くことは、自分の力にもなる。塞ぎ込みがちな妻の体調も日毎に良くなり、私も気持ちよく送り出していた。

そんなある日、とてもショックを受けて帰ってきた。食事も喉を通らない。どうしたのか訊ねると、何か心無い言葉を浴びせられたとの事。私が行く事で裏目になるのなら、もう行けないと涙ぐむ。

翌日、娘(義母から見れば孫)が話を聞きに義母の元へ。すると、意外な事を話してくれたそうだ。

それは、妻が昔厳しかった姑の様子と重なって見えて、心にもない事を言ってしまった。本当は、色々やってもらって申し訳ないと思っていたと…

この話を娘から聞いたものの、まだ納得がいかない妻。「結局私が悪いという事だ…」

そこで私が、オレは息子を見ていると、たまに義父の面影が重なるけど、と伝えたら妻は、いや、息子は義理の母、あなたのお母様に見えるという。

でも、そういう事かと少し納得したみたい。

それにしても、日々共に暮らしている家族なのに、いったい誰と暮らしているというのだろうか。

普段は意識しなくても、自分が弱っている時は特に、目の前の現実と過去のイヤな記憶を結びつけてしまい、相手に投影してしまう。当の本人ではない他の誰かの事を。

気付けたなら、その苦しさはすぐに無くならなくても、少しずつ理解の下に置くことが出来る。

目の前で話しているこの人は、誰でしょう?

本当に、この人の今を、見て聞いて感じているのだろうか? 過去の記憶と結びつけた、イメージの中の相手ではないだろうか? 

それでは、この人ではない誰かと話していることになりますね。そんな話が相手に伝わる訳無い。何とも勿体無い時の過ごし方になっているなぁ。

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