幸福度に思うこと
以前、世界一幸福度が高い国として知られたブータン。物質的に足ることを求めず、今ある当たり前をありがたく思う生き方と信仰により、とても幸せを感じていた方々。
私は密かに憧れています。
豊かさよりも幸福でありたいと思っています。
ところが…
ここ数年、ブータンの幸福度が急降下しているそうです。原因は、インターネットの解禁とスマートホンの普及によって、他人との比較が容易になったからでは無いかとされています。
あいつに比べて自分は…でしょうか?
怖いですね…。
今、十分に幸福を感じて暮らしていても、ふと目に入る他人の様子に心を乱され、急に自分の足りていない不幸を呪ってしまう。
会社員の能力評価(査定)の内訳は、今のところ一般的には公開されないと思います。本人には、本人の評価とフォローをするものの、個人情報として厳秘扱いされます。
同僚達との差を知らしめると、不満が爆発するからでしょうか?
猿への実験でも、いつも満足していたエサなのに、隣の猿にもっと良いエサを与えるのを見せると、もういつものエサを食べなくなるそうです。
他人と比較し心が乱されてしまうのは、競争に勝つための、生きていくための本能なのでしょうね。
競争相手は昨日の自分であり、自分を満たせるのは自分自身なのだと思える時、やっと幸福に戻れるのかなぁ。
まあ、幸福度を測ってランキングにしている時点で、他と比較しているんですけどね。会社員も、昇進スピードによって結果は見えてしまいます。
事実を知った上で、それを現実としてどう受け止めるのか?
スマートホンを持たなかった時には戻れません。とても便利で、楽しい物ですから、手放せません。
便利な世界を知った上で、事実として環境に差がある、評価に差があると知った上で、さあどう捉えるか?
この時、知らず知らずのうちに自分と一体化している「価値観」に引っ張り回されないように。
出来事はフラットに。
あぁそうなんだね。
まぁ良いか。
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