見出し画像

ネットの知り合いと初めて会った話

1年くらい前、わたしは初めて、インターネットで知り合ったひとと会った。

高校3年の夏だった。大学受験を前にして、友人数人と一緒にSNSのアカウントを作った。いわゆる「勉強垢」というやつだ。最初のうちこそ、「英単語1時間」とか「数Ⅲ3時間」とか、めいめいに頑張って投稿していたけれど、ひと月もしないうちにみんな飽きていて、夏休みが終わる頃には、投稿を続けているのはわたしだけになっていた。わたしの場合、そのアカウントはオープンで、大学説明会で知り合った大学の先輩や、同じ大学を目指すフォロワーとも繋がっていたから、そう簡単に投稿をやめるわけにはいかなかったという理由もある。

リアルの友人たちが見なくなったわたしの投稿に、いつも「いいね」してくれるひとがいた。

「いつもいいねしてくれてありがとうございます!」
最初に送ったのはこんな文面だったと思う。返事は数時間して返ってきた。
「こちらこそありがとうございます! I大目指してる者同士、お互い頑張りましょうね!」
性別、年齢不詳のスヌーピーアイコン。ハンドルネームは洋画のタイトル。DMを送った後にプロフィールを確認してみると、同じ地方に住む同い年の男子高校生だとわかった。
はいとかうんとか、適当な返事を打って、終わった気がする。

それから、彼はときどき、わたしの投稿にコメントをしてくれるようになった。「数Ⅲのおともに新発売の黒糖ミルクラテ!」なんて投稿に「それ今日自分も飲んだ! 美味しいよね!」とか、そういうくだらないのばっかりだったけど、毎日の勉強記録が少し楽しくなった。さらに言うと、コメントの延長で、DMを送って話したりもした。

10月か11月かそのくらいの時期だった。彼からのDM。「アカウント消すことにしました!」「ええー、消しちゃうんですか……」「もしかしたらひょっこり戻ってくるかもしれないんですけどね! その時はまたフォローしてもいいですか?」「もちろんです! また仲良くしてください! もしSNS辞めるとしても続けるとしても、これからもお互い頑張りましょうね! 入学式でお会いできるのを楽しみにしています!」
我ながら少しいいことを言ったと思う。入学式で会おうのくだりはかなり良かった。他人に見せるものではないし、今じゃ彼のアカウントもトークの履歴も残っていないから、これはもう自画自賛するしかない。うん、良かった。本当に。
「ありがとう! ほんと刺さること言ってくれますね! 絶対会う! 絶対受かろう!」
このメッセージを最後に、彼のアカウントは消えた。わたしが返信を確認して、もう一度見返そうと思った時にはもう、なくなっていた。


2日くらいして、彼は戻ってきた。
「フォローありがとう! ○○(前のアカウント名)です!」というメッセージから、またDMのやりとりが始まった。受験も迫っていて、お互い勉強しながらだったから、ラリーはゆっくりで、1日に1往復すれば良い方だったくらいだけど。その分会話は途切れなくて、それが少し新鮮だった。色々なことを話した。彼は県下有数の進学校に通っていること、わたしが翌月に推薦入試を控えていること、などなど。

わたしの推薦入試は、ちょうど、誕生日だった。
実家から遠く離れた、I大学を受けるにあたって、前日は大学近くのホテルに泊まることになっていた。当日は電車で会場まで向かい、試験終了後は、最終の新幹線に飛び乗って帰り、帰宅は深夜になる予定だった。要するに、試験当日、18の誕生日当日は誰にも会わず、誰にも祝われることなく、1人で過ごすことになっていた。もっとも「過ごす」なんていう悠長な言葉がふさわしい状況ではないのだけれど。
ホームで電車を待ちながら、単語帳を眺めていた。全然頭に入ってこない。制服のポケットに入れた、スマートフォンが震える。
「お誕生日おめでとう! 試験、頑張ってね! ××さんならきっと大丈夫!」
頬が緩んだ。
「ありがとう! 頑張ってくる! 応援しててね!」
そういえばいつ敬語をやめたのか覚えていない。少なくとも、お誕生日おめでとう、に、ございます、はついていなかった気がするから、この頃にはもうタメ口で話していた。

結果は、不合格だった。
それを言うと、彼は相応に慰めてくれた気がする。「でも本番はこれからだよ! センターまであと1か月だしさ、一緒に頑張ろう!」なんて、わりに前向きなことを言ってくれた。

しかし現実はそんなに甘くないので、案の定というかなんというか、センター試験、わたしの成績はあまり芳しくなかった。いわゆる難関国立大と呼ばれているI大を受けるのは、わたしにとってあまりにも大博打だった。もともと家が厳しかった、滑り止めを受けさせてもらえない、浪人させてもらえない、確実に受からなければいけない、言い訳めいた言葉を並べて、志望校のランクを2段階くらい落とした。2段階落としても中堅、地方国立、あたりのカテゴリに入る大学を受けられたのは傾斜配点さまさまといったところか。数学が得意でよかった。チートですね。

彼は彼で、センターは思い通りにいかなかったらしい。でもわたしと違ったのは、それでもI大に出したことだ。落ちたら落ちたで浪人するつもりなのだ、と笑っていた。

わたしがI大を受けない、と言ったとき、彼は少し落胆したように見えた。実際には見てないけど。
「受験終わったらさ、連絡先聞いてもいい?笑」

今思えば、もっと警戒するべきだったのかもしれない。でもわたしは、ほとんど反射的に返信を打っていた。「いいよー!」同い年だし、なんか頭良さそうだし、それに、誕生日も祝ってくれたし、わたしの言葉に「刺さる」なんて言ってくれたし。もし騙されるとしても、このひとならいいや。
ややあって、LINEを交換した。受験終わったら、どころか、前期試験すら始まっていない頃だった。こういうのは勢いが大事だと思う。本当に。たぶん、考える時間があったらやっぱりやめるとか言い出しかねないから。

「いつか会えるといいね」
彼からのメッセージはDMではなくLINEに変わった。
「そうだね」
「まのがこっち来ることあったら連絡してよ」
いつのまにか呼び捨てになっていた名前。ちなみに、わたしのハンドルネームは「本名っぽいけど本名とはかけ離れた偽名」だったのだけれど、LINEを交換した時にお互いの本名も開示した。本名だと思っていたと言われた。そんなわけがなかろう。
「おっけい。たぶんないかな」
「まあそうだよね」

いつか、は案外あっさり訪れた。
前期試験の帰り道だった。
「おつかれ! もう家着く頃?」
「ううん、まだ東京。新幹線に乗ってすらいない」
「ええ、自分も今ちょうど東京着いたところなんだけど、会わない?」
「会おうか!」
それだけのやり取りで、彼と会うことが決まった。スマホだけで繋がっていた、半ば仮想的な友人。彼の輪郭がはっきりと浮かび上がってくる。
「八重洲口ってわかる? そこで待ってて」
「了解! わたし場違いなコート着てるからすぐわかると思う」

お年玉で買ったホワイトベージュのコートはすごくかわいいけど、地元ではいざ知らず、2月の東京には似つかわしくなかった。ところでわたしは上京して慌てて日焼け止めを購入した。日焼け止めは1年中ってよく言うけれど、私の地元は日照時間が日本1短い町なので全然気にしたことがなかった。東京の紫外線って恐ろしいですね。じりじり。刺されているみたい。
握りしめたスマートフォンが光り、震えながら着信を告げる。


「もしもし、まの? 電話の方が探しやすいかなって」
「もしもし?」
喋りながら顔を上げると、スマホを耳に当てながらこちらに向かってひらひらと手を振りながら歩いてくる長身の男性と目が合った。背が高いことは聞いていた、ビンゴ?
男性はスマホを仕舞うと、こちらを向き直る。本当に背が高い、そして細い。
「まのさん?」
「はじめまして、まのです。Sさんで合ってる?」
彼のことは仮にSとしておこう。スヌーピーのS。
「そう、Sです、はじめまして」
「はじめまして」
はにかんだように笑うひとだった。
「まの、新幹線の時間は大丈夫?」
「あと、30分弱」
「それはそろそろ移動した方がいいんじゃない? 自分はまだ時間あるから、ホームまで送るよ」
「ありがとう」
方向音痴を極めている田舎者のわたしは正直自力で新幹線改札までたどり着く自信がなかったので(行きは駅員さんを捕まえて道を聞きながら歩いたくらい)、東京に住んでいたこともあるというSに案内を頼み、自分は後ろをついていく格好になった。

「なんかさ、はじめましてって感じしないよね」
たまに振り返ったりしながらSは話す。
「わかる。ちょくちょく電話してたからかな」
「そうかも。あとネットで知り合ったって感じもしない、学校の女子と話してるみたい」
「わたしも。もうちょっと、いかにもって感じのひと来るかと思ってたら普通にクラスメイトみたいなひと来たからびっくりした」
「そりゃあね。自分だって高校生だし」
どんな魔法を使ったのか、迷路みたいな東京駅を彼はあっという間に突破して、新幹線のホームに着いたのは、発車時刻の20分ほど前だった。


「はい、これ」
渡されたのは、彼がずっと持っていた手提げ袋だった。有名な雑貨屋さんのもの。
「ごめんね、急だったからちゃんとしたの用意できなくて」
「ええ、ありがとう」
「今度会うことがあったらその時はもっとちゃんとしたのあげるよ」
「そうね、その時はわたしからも何かお返しをしなきゃね」
「今度があるかわからないけど」
「もう会わない気がする」
「そういえばまのって彼氏いるもんね。俺も彼女いるし。まあこれくらいなら浮気って言われないっしょ」
そんなことを言って2人で笑った。いや、笑い事ではないかもしれない。
「じゃあね……」
ふさわしい別れの言葉が思いつかなくて、少し考えて付け加えた。
「またいつか!」
「うん、またいつか」
手を振りながら新幹線に乗り込んだ。
手荷物やら、実家に買ったお土産やら(受験旅行だからお土産を買えないなんていう話は弟には通用しなかった)を整理しながら、わたしはひとつ思いついて、小包を片手に列車を飛び出した。
「S!」
驚いたような顔で彼は振りかえる。小包を半ば押し付けるように手渡した。
「良かったら使って。さっきのお返し」
「ありがとう」
「じゃあね! 今度こそ、本当にバイバイ! またいつかね!」
わたしはひとりで満足して、笑って手を振りながら列車に戻った。
彼はまだホームに残っていた。新幹線が発車するまで、ずっとそこにいた。
新幹線が出て少しした頃、LINEが届いた。
「趣味じゃないかもだけど、良かったら使ってね」
中身はハンドクリームのセットだった。春限定、桜のクッキーのおまけつき。正直桜はあまり得意ではない。
「ありがとう。ありがたく使わせてもらいます」
「良かった! こちらこそ、栞ありがとうね。使うよ」
わたしが渡したのは栞だった。上野で買えるやつ。竹製で、桜が描かれているものを選んだ。縁起良さそうだから、帰ったら、浪人する予定の友人か後輩にでもあげるために買ったのだけれど、彼が持っていても問題はなかろう。桜咲きますように。なんて。押しつけがましいかもしれない。これくらいは許されてもいいと思うのだけれど。

新幹線が地元に近づくにつれて、彼と会ったことが現実の出来事ではないように感じられた。長い夢を見ていたような。目が覚めたら、ハンドクリームもクッキーも、何も残っていなくて、スヌーピーアイコンの勉強垢も、SのLINEもなくなっているんじゃないか、って。
なんでも話せて、ずっとむかしから仲の良かったような錯覚に陥ってしまいそうになるけど、SNSをすべて遮断したら何も残らない関係だ。共通の友達なんて1人もいない。たまに忘れてしまいそうになるけど、とても脆い。

「短い時間だけど会えて本当に良かった! ありがとうね」
送ったらすべて終わってしまいそうで、数時間躊躇った返信。送信ボタンを押すと、拍子抜けするくらいあっさり既読がついて、少しして、返事が来た。
「こちらこそありがとう! また会えるといいね」
「その時はまたよろしくね!」
そんな文面を送って、新幹線を降りた。

終点だ。

ホワイトベージュのコートがちょうどよくて、日焼け止めがまだ必要ない町。わたしの日常だ。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?