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病気のこと《第3部》

最終回。
現在進行形ではあるとはいえ数年前のことなのに思った以上に疲れる作業でもあってたどり着いた感がある。
読み返してみてもくどくどしく文章力のなさにあきれ、元々おおざっぱな自分がずいぶん変わったものだなと思うし、ここに書く意味もあやふやに感じてきたりもするが、とにかくひとまずの最終回。
ここからは徐々に回復してきたことや職場復帰とそれからのこと。

目次
快復徴候
復職へ向けて
復職
ふりかえり
そして今
これから
おわりに

《快復徴候》
この病気の回復についてポピュラーな表現に「薄皮をはいでいくように」というのがある。
波があるからスムーズに右肩上がりではないし時間もかかるが治療すればきっと良くなるから焦らずじっくりという意味だ。
これを知った時はとにかくは良くなるんだという希望が少し、そんな曖昧なという疑問がほとんど。
実際薄皮はいだらとても痛いしもっといい表現ないのかと思う…
それでもこの良くなるということが支えであったし実際そのとおりでもあったのだが、ただしがつく。
その少しずつの回復を実感しにくいということだ。
一般的なものであれば症状や痛みが緩和・軽減するとか検査結果で数値に表れたりリハビリで機能の回復が見られたりと何かしら実感できることがあり(別の病気と怪我で経験がある)、それが治療に向き合う気持ちの補強となる。
ところがこの病気(他にもこうした病気やケースが多々あるので特別視するつもりはない)では、症状が気持ちや意欲などに直接働きかけてくるため気持ちを前向きに持つことすら難しい。
その上薬の効果が本当に曖昧にしか感じられず(中には薬がマッチしてはっきりと改善が見られる例もあるが)、快方に向かっていることになかなか実感を持てない。
これだけ休んで薬とその副作用も含めきつい思いをし、いったいいつになれば・この治療で本当にいいのかなどとぐるぐる思考がスパイラルとなっていき、いつからか落ち込んだ状態が基本ベースであるかのように思えてきたりもする。
何となくでも昨日より今日、きっと明日はと思えることがほしいとそればかりを願っていた。
本当に微妙で今思ってもこれだとはっきり言えるものはない。
それでもいくつかあの辺りだったかなと感じるポイントはあった。

【念慮のこと】
長くベースラインのようにあり続け、気づくと何かが向いていた。

第1部で書いた仲間達とその後のことは確かに自分の中で気がかりの象徴的なことではあったかもしれないしどこかで影響していたかもしれないが別のことだ。
それでも彼らのことはずっとそばに感じていた。
何をしていても思い浮かんでいて、第2部で触れた仏教への関心から彼らのことを思いながら覚えたてのお経を唱えたりもしていた。

ある時ふっと「50年もしないうちに自動的にあちらに行くのだしそうしたら会える」と思った。
うれしい思いつきだった。
会ったらまず肩をぎゅっと抱き「お前さぁ、あれからみんないろいろ……だったんだぞ」とかご家族のこととかを言って、それを上から見ていて知っている彼は「いやぁ~…」とか言いながら照れたような笑みを浮かべるのだ。
つまりは妄想だ。
それでも何かが少しだけ軽くなるのを感じた。
その証拠と言えるか判らないが、今でも彼らのことを身近に感じているが今は見守ってくれている存在としていてくれている。
勝手に約束のように思っていて、きっと生ききったなら会いに行こうと楽しみにしている。

このことばかりではないと思うがこの頃から少しずつ少しずつ念慮が小さくなっていったのを覚えている。

【症状の緩和】
休職して1年近く経った頃かと思う。
ほんの少しどこかやんわりと軽くなってきているように感じてきた。
すがるように待ち望んでいたことなのに、アップダウンもあり本当に漠然としていてなかなか実感しにくかったが、カウンセラーの先生からのちょっとした指摘だったり、ずっと静かに見守ってくれていた家人からのコメントも後押ししてくれて感じられてきたことだった。
それでも薬や他にしていたことにこれをすればいいのだ的なものは感じられずにいたからこれを足がかりしていけばとの感触には遠かったが、それでも1日の中で少しずつ落ち着いている時間が長くなってき、落ち込みの度合いや波が小さくなったり景色を楽しんでいたりする時間が多くなってきているのを感じてきた。
症状のせいなのか性分なのかそれを認めることにすら躊躇やきっとまたダウナーになってしまうのかもとの怖れ、はっきりと思えない自分への情けなさなども感じつつ、それでも少なくとも先が見えかけてきているような思いと手がかりを感じてだしていたのだと思う。

《復職へ向けて》
こうした中で復職を意識できるようになってきてこれまでのケアなどに加えこれらを始めた。
ここでも第2部で書いたカウンセラーの先生の柔らかい後押しや家人のフォローが大きかった。

【図書館通い】
復帰に向け生活リズムと仕事の感覚を取り戻すためのワークを専門家の指導のもとでするリワークプログラムというものがある。その効果も認められてきているが対応できる施設はまだ多くはなく近場にもなかった。
そこまで通うこともリハビリになるとも思うが、考えた末、代わりの方法として毎朝同じ時間に図書館へ行き半日は読書して過ごすことにした。
この頃には睡眠導入剤がマッチしていたおかげかそれなりに眠れていたし毎日ウオーキングと軽い筋トレ、それ以外は家で本を読んだりビデオを観て日中寝ずにいたのに、やってみたら興味ある本でも睡魔がおそってきた(笑)
それでも毎日図書館に行き時々は寝てしまいつつも、とにかく前へ進んではいるはずとの感覚を少し持ててきたように思う。
初めのうちは人との接触が気重で避けるようにしていたが、そのうち時には帰りに喫茶店に行ってみたりもするようにもなった。
時にはほんの少し会話もあったりして。
そうしているうちに曖昧ながらこれならもう一歩進めてみようか、やってみてもいいかと感じられてきた。

【リハビリ出勤の手続き】
それでも次の一歩はこれまでとは意味が違った。
当然だがもう自分だけのことでなく会社から評価されるということ。
与えてもらったのは3か月のリハビリ出勤。
毎日定刻に出勤し一月おきに在勤時間を伸ばし3か月目は通常の勤務時間。遅刻や休むことはNG。
だがこの病気には日内変動という朝方がよりきつい傾向がある。自分なりに生活リズムを整えてきたとはいえ1度でもロスしたら流れてしまうことに何気に小さくないプレッシャーを感じたし、これをすることで生じるかもしれない負のイメージばかりが湧いてきていた。
ともかく会社へ連絡しその手配をする。
手配という表現には違和感も感じるが実際にも何やら淡々と「手続き」的な感じに進んだ。
医師に意志を伝えたら淡々と「まあいいでしょう」と診断書を書いてくれた。
何だかあっさりと感じたがそれも今の状態があってこそのことと思うことにし、自分なりに気持ちを整えようとしていた。
自信などはなかったがいつかはしなければならないことだし、このままでいても100%の自信など持ちえないのも確かだろう。

【リハビリ出勤】
ようやくここまで来られたはずなのに「さぁ行こう」などとは思えなかった。
これはただの偶然だが初日の朝、会社に向かう途中の頭の中になぜかSMAPの『世界に一つだけの花』が流れてきた。
別に思い入れもなかった曲なのに背中に手を当ててくれているように感じたのを覚えている。

人目はどうしても気になった。
自分の場合ちょっとイレギュラーな事情があって同じ会社でも行き先が初めての課で周りに知人がいなかったのも少しあるかもしれない。
リハビリ出勤は当然だが任意のことだから手当などはないしこれといった仕事が与えられるわけでもない。
とにかくも毎日職場に行きただそこにいることを目指し時間を過ごした。

【睡眠導入剤をやめる】
リハビリ出勤初日、たった数時間だったが手続きなどもあったせいか帰宅したら少し疲れを感じ、ふと「このまま眠れるかも」と思った。
それまでずっと寝つくことにすら負担を感じていたのに、その時はあまり意識せずそれなりに眠ることができたので眠剤をやめてみることにした。
タイミングがあったのだろう、以来飲んでいない。
今でも時に寝つきにくいことがあるがそれなりに割りきりや対処ができていると思う。

【1つのステップ的なこと】
リハビリ出勤が1月半した頃、近くの席の人が「よかったらどう?」と社内の回覧資料と一緒に別の資料を渡してくれた。
ここまで担当してくれていた人以外との会話はほとんどなく、その人との会話もほぼ初めてだったが結果的には大きなことだった。
その資料はある意味とても仕事のコアなところに触れる内容のもので見るのを躊躇した。少し前だったらダメージを感じたかもしれない。
だがその時は今ならと思え、実際少し疲れは感じたがダメージはなかった。
このことはリハビリ出勤を経てきたことと相まって回復を感じられることだった。
後になってからその人にお礼を伝え、なぜあの時にと聞いたら「顔色とか見ててもういいかなと思った」そうだ。
本当に感謝している。

《復職》
リハビリ出勤を経て職場復帰を認めてもらえた。
それまでに少しは雰囲気を掴めていたこともあり思っていたほどの感慨はなかったがそれでもうれしかったし、とりあえずな感じでもあったが担当する仕事ももらえた(後からまあまあ重い仕事になっていって相当苦労もしたが)。
とにかく得られたことをやっていくしかない。

【気になること】
とはいえ仕事するということは当然ながら1人ではできないわけで、方向性に基づき他と調整し実現化を進める。
必然的にいろんな立場の人とのやりとりや時には軽い衝突も生じるが以前は普通にしてきたことだったことにも負担を感じた。
元々出世とかは望んでいなかったし病気のことを割りきっているつもりでも、調整に行った先などに同期や後輩がいたりすると何らか感じることもある。
どこかまだ対人恐怖的な感覚が残っていて後ろ指を指されているように感じてしまうこともあった。

【夕陽がきれい】
それでも毎日仕事に行き、家に帰ればどこか当然のように思ってしまっていたところもあった家人と家があることに休んでいた頃以上のありがたみを感じる。
職場でも例の資料を見せてくれた同僚の他にも見守ってくれている人がいることに気づけたりしてありがたく感じることもあったり、曲がりなりにも仕事することで徐々に病気を意識しない時間が増えていった。

仕事を終え会社を出るといつもの景色が夕陽に染まっていることがある。
何だかとてもきれいに感じた。
休む前はずっと仕事終わりが遅いことが当たり前だったせいもあるかもしれないが…
心と体、それに周りの環境は関連しているのだとつくづく思う。

《ふりかえり》
【振り返りの記録】

リハビリ出勤の中頃、自分の席にパソコンを置いてもらえた(リハビリ出勤なので当然だが何もない机にパソコンがあるだけでうれしかった)。
初めは社内の通知や情報を見たりしていたが、ふとこれまでのことを書いてみようと思いついた。
薬の情報や対処の参考にしていた医師によるサイトで再発を防ぐために提案してくれていたことの1つだったし、しばらく離れていたパソコン操作の確認にもなる。
負担もあったが今ならできるかもしれないし何より時間があった。
パソコンは難なくできた(何気にうれしかった)し、これまで書いていたメモ(最初のほうは断片的で判読できないものが多い)や後に書いた簡単な日記とThreeGoodThingsの記録などが役に立った。
それでも当時の感情に引き込まれそうになることもあり疲れもしたがやってよかったと感じている。
タイミングがこれより早かったら良くなかったかもしれない。
書くことではっきりしたこともあったし、復習的に書いているうちに何やら自分なりの考えも生まれてきた。

【おそらくの原因】
結局のところ一言で言えば疲労の蓄積とかバーンアウトということになるのだろう。
当時はどんなに頑張ってもハードルが多く、時には手のひらを返されるようなこともあったりと先の見えない状況が長く続いていた。
そんな頃に少し前のことをフラッシュバックしてしまう出来事があったのも悪化の一因ではあったのだろう。
振り返ってみて感じるのは、これらもそのとおりだがそれより前からのダメージ的なものの蓄積があったのも確かだと思う。
その意味では年齢や立場的にもいわゆるミッドライフ・クライシスと言われるものかもしれない。

後から思えば避けられない状況にあったのも確かだし、もう少し対処の仕方があったかとも思うが、心身の扱い方や休む・リフレッシュとかについてあまりに無知だった。
それぞれかとは思うが、何か1つに原因をしぼって対処することはこの病気では難しい場合もあるかもしれない。

【回復できたこと】
これも一般的なものになってしまうが睡眠を含む休養と治療のおかげだと思う。
それに時にはマイナスだったこともあるかもしれないがもがくように自分なりにいろいろしてきたことも。
中でも休養は大きいと思うがこれが難しかった。
休職し何もすることがなくても(当時会社から旅行でも行ったらなどと言われたが到底無理だった…)症状や意識の影響でそれ自体が重苦しく、いつから本当の休養ができていたか定かでない。

力を入れることは簡単だが力を抜くのは何気に難しい。
日頃の“休む”とか“リラックス”に置き換えてみると判るかもしれない。
週末に家で食事しTVなど見ている時など「さあ休日、リフレッシュしよう」と思ってもどこか仕事のことなどを考えていたり、休日明けにあれっ?と感じることもあるのではないか。

症状のせいもあって休養と治療、もがくようにしてきたことも含めこれが正解と思えたことはなかったし、ずいぶん遠回りもしたと思うが、結局は回復のために必要な時間とあれこれだったのかもしれない。

《そして今》
復職して数年が経った。
スムーズに来れてはいないし、今でもいったい何だったのだ、何がまずかったのかと感じることがある。
これまでそれなりにはやってきて当時も仕事していただけなのにとか、あの時もう少し持ちこたえられていたらとか、拭えない罪悪感などなど…
こんなことは無意味だし少なくともこれからは今までよりは適当に(もちろんそれなりにした上で)と思ってはいても、今の職場でも疑問や憤りを感じること・ストレスになっていること(やはり多くは人間関係)もある。
大抵は一過性のはずのことだしもっとドライにとは思うが、そんなじめじめした面が自分にはある。

【減薬】
薬のおかげも重々思っているが飲まずに済むに越したことはない。
何度か医師にお伺いを立て、復職から1年ほど経った頃減薬を始めた。
徐々に減らすのが大事なセオリーだし状態を見ながら進めるしかないから具体的なスケジュールはない。
不安もあるがとにかくのステップだ。
今は一応後半に来ることができている。
実はスムーズにはいかなくて、せっかく減らしたのにまた量が戻ったりもしているが…

【時々ダウナーになる】
今でも波が来る。
普段は何かあってもたいていの場合は気持ちを切り替えたりスルーできていると思うが、時には仕事を休むことがある。
こういう時はいつの間にか沈んでいて途中で軌道修正しようとしてもどうしようもない。
気圧が影響しているケースも多いというが、自分の場合は関連性がないようだし、仕事は目指していることではなくてもストレスは少ないほうだと思っているのに。
心配をかけたくないので会社には風邪と言っている。体のだるさとかもあるのであながち嘘でもないが、どのみち周囲は何かしら思っているだろう。
情けなく悔しい。
困るのは前兆が全く見えないこと。
マニュアル的には休養や受けとめ方を変えストレスを溜めないようにしセルフケアをと言う。
そのとおりだと思うし、良くなったのを過信し羽目を外し過ぎたりしてダウナーになった例や注意もあるからできるだけのことはしているつもり。
それでも前夜までいつもと変わらないから何ともしようがないままでいる。

それに加えて怖く感じるのが、その時の自分の中に“引き込まれる感じ”を受容しているような感覚があること。
うまく表現できないが、例えば二度寝しちゃおうとタイマーをセットし直しもう1度眠ろうとしている時のような。
このままにしていたらいけないと思っているし、あの頃のようには二度となりたくないと恐怖すら感じているのに…
日頃の対処はまあまあできているかなと感じているがこれはまだ対処できていない。

【歯がゆさに笑う】
以前は普通に即決やスルーしていたことも一端立ち止まって、ここまでなら大丈夫かなとか考える(時には躊躇)ようになった。
時には人から見たらそんな小さなことでと思うような、自分でも情けなく歯がゆく思うことですら。
(今は徐々に頻度が少なくはなったが)小さなチキンレースを1人でやっているような感じ。思えば遠くへ来たもんだ(^^;)

それでもマイナスばかりではなかったとも思っている。
とりあえずでも今があるから言えることかもしれないが、これまでとは違う視点や考えを得られたし大切な出会いもあった。

【感謝】
こんな自分にも見守ってくれている人達がいてくれた。

前にも書いたが家人には本当に感謝している。
それでも外に出れば今でも?とか!な人や事は多々あるが、それでもこんな自分にも信じてくれ一緒に事を成した仲間達もいる。
ほとんどの人には病気を伝えていなかったが、それを知っても変わらずにいてくれる人がいた。
休む前に話を聞いてくれた友人は今も大切な友人でいてくれ、前述の資料を見せてくれた人とは友人になれた。

休職半ば頃、尊敬する先輩に状況を伝えたらご自身の身内の同じような病気での回復例をあげて励ましてくれた後に「新しいお前になって生きろ」と言ってくれた。
その時は新しくなどではなく早く元に戻りたい一心だったから「えっ?」と感じたが今は少し判った気がしている。

【インタビュー初体験(笑)】
復職し1年ほどした頃、cotreeさんがカウンセリング体験談のインタビューを募集しているのを知った。
いつかお世話になることがあるかもしれないし、役立つ情報を発信してくれて参考にしていた。何よりU2plusを身受けしてくれた会社。
度量の広いことに自社のではなく他でのカウンセリング体験で構わないという。
思わず応募してしまった。
迎えた当日、何を話したかあまり記憶がない(^^;)
聞かれるままに話しているうち整理されたこともあったが何より説明が下手で時間が長くなってしまって気がねしたことを覚えている。
記事がアップされたのを見た時は感慨があった。
誰かが読んでくれ少しでも参考になればうれしい。
あんなごちゃごちゃした話をうまく記事にしてくれたライターさんとcotreeさんに感謝している。

《これから》
本当に面倒くさい病気だ。
ならないに越したことはないし、絶対におすすめしない。
まだ減薬も終わっていないし、今でも時々ダウナーになる。拭いきれない後悔や何やかやかも。
再発のことも頭の中にあって、今は休養のおかげでいられるだけでチャージが切れたらまた…と恐怖することもある(この怖さは書けない)。

【病気の特性的なこと①】
ここまで読んでくださった方は前半で「あの時こうしていればよかった」、「そんなになるまで」と思う方が多いかと思う。
自分でもそう思うが、前を向いて頑張ることは知っていたが離れることは知らなかった。
仕事復帰してしばらくした頃、ある知人に病気のことを話したら「(仕事なんだから)体壊してまでやることじゃない」と言った。
悪気あってではなく労りと優しさのある発言なので気にはしていないし、自分でもそのとおりだと思う。

だがどうだろう。
どうやらこの病気にはいつの間にか忍び寄ってきて負のスパイラルを作り理性的な判断を難しくする性質があるのは確かで感情や感覚、思考に直結的なことだからその境界はとても曖昧。
入り口はそこら中にある。
少なくとも誰にでもグレーゾーンに入ることはあって、思考の歪みなどは普通にあること。
そこに未病段階でもスパイラルが上乗せされたら誰でもこんなことになってしまう可能性がある。
単に“頑張らなくていい”という話ではない。
この辺りに注意すべきことがあるように思う。
いつかこの病気がもっと解明され(今もそうしようとしてくださっている方々に感謝)、さらにそれを生じさせてしまう環境要因なども改善に向かうことを切に願っている。

【不理解などへ思うこと】
会社にいれば仕事仲間の動向や噂も入ってくるし、中には同じようなことになってしまった人の情報もある。
そんな情報の1つ、おそらくはきつい状況にあって休まざるを得ないことになった人についてある上司が「疲れちゃったのかな~」と軽い感じで言ったのが聞こえた。
他意はなく他に言葉がなかっただけなのかもしれない。
会社としてもその事態に対応し代役を立てたりする必要も判る。
だが一定数そんなこともあるよね的な感覚で本当の問題をスルーしていたら何の解決もないのではと思う。
他の病気と同じく誰でもなり得ることだし、何より同じ会社仲間のことなのに。
中にはそんな台詞を平気で言う人すらいて、あなた(心の中では「てめぇ!」(^^;))こそすでに別の病気ではと思える人もいたりする。
個人のこと(時には自己責任とまで…)として処理され替わりの人が充てられて表面上何事もなかったように進むことには少なからず憤りと疑問を感じてしまう。

【病気の特性的なこと②】
念慮のこと。
ここまで書いた仲間の他にも自死をした知人が数人いる。
中には誰とも比べられないほど強く・大きく、誰からも尊敬され親しまれている人もいる。
彼らのことを自分で選んだことと単純に割り切ることなどできない。
選ぶとはいくつかの選択肢の中でもろもろ考えてのことのはずと思うが、そんなことすらできなくさせるものがこの病気にはある。
本当に自然に、無意識のうちに、指向していたりするのだ。
あの頃の自分もそうだったし、そうならなかったのは偶然としか思えないことが多々あった。

そんなことを思っていた頃、この多くにこの病気を含むことが関わっているとの研究報告を知った。ある研究では8割、もっと多いというものもある。
あるセミナーで著名な先生がそれを強調するのも聞いた。
もちろんそれぞれの状況や事情を考えれば一概に言えることではないがこれを知って思ったこと。
1つは彼ら(自分も含む)への別な理解。
本当のことは判りようがないが、自分と同じようなことだったのかもしれないと思ったら気づけなかったすまなさや悔いが少しだけ質的に変わった。
もう1つ、ならばこの病気への認識や環境改善を含めた予防策があればあんな事態はなくて済んだのかもしれないということ。

【ゼロからプラスへ?】
リハビリ出勤の後半、こんな自分にも役に立てることもあるかもと思った。
見渡せば多くの人が何らかのストレスを抱えている。
それを解決することなどはできない。
ましてただの素人でしかないが、だからこそ関心を持ってもらえることもあるかもしれない。
おこがましいと思うし「お前が言うな」とツッコミが入るだろうが、少なくともストレス対処について自分にとっては回復のため・マイナスからゼロに近づけるためのことが、普通にしている人にはゼロからプラスにできるのではないか。
これまで教わって来なく、時には間違うこともある心の扱い方のことなどを。

もともと前から自分では思っていなくとも相談を受けたりすることがよくあり、それを聞いたりすることが嫌ではなかったのと、復職してからも近くで悩んでいた人の話を聞いてちょっとアドバイスしてみたら楽になったということがいくつかあった(気遣いもあったかもしれないが…)のもあるかもしれない。

やりたいことをまとめると、
①病気への認識を深めてもらう、ついでに対処の考え方なども
これだけでもかなり違うはずと思うし、少なくともストレス対処などを考えるきっかけにはなれると思う。
大げさかもしれないが、これを判ってもらえたら様々なハラスメントの抑制にもつながるかもしれない。
②復職支援と再発の予防
体験をふまえ、なってしまった人への対処を改める。
もちろん会社にも制度はあるが、当事者の視点を入れることでよりいいものにできるはず。

自分でも笑えるが、そんな部署につきたいとおこがましくもダメ元で会社に意見書を出し、勝手に啓発のためのプレゼン資料を作り出してしまった。
自分でも状況を考えれば難しいだろうと思うし、いまだにこのプレゼンは日の目を見ていない。
余計な恥をさらすことでもあるし、気分を害す人もいるかもしれない。
それでも大切な仲間をなくすようなこととこの病気のきつさはしてほしくない。
それを避け、少なくとも減らせることができるなら。
このこだわりは捨てずにいたい。
そのためにも自分がゼロからプラスにとモチベーションのようなものにもなっている。

《おわりに》
時々「あ、今フラットだなぁ」と感じる。
頭にはいつものように気がかりなことなどが浮かんでいたりしているが、それをスルーしている自分もいて、それらとも別に凪いでいるような感覚。
ネガティブでもポジティブでもない。
曖昧だし是非も判らないが良くない感覚ではないし少なくとも落ち着けてはいるのだと思う(ことにしている)。

過去はどうしようもない。
これからの自分のこと、社会や環境の変化などを考えると不安になったり憤ったり虚しく感じることもあるし、理由もなく症状や念慮がひょっこり顔を出すこともある。
再発や生きていれば別の病気になることも含めずっと平穏に過ごせるはずもない。
今も仕事でかなりなピンチを抱えていたりする。

それでも生ききると決めたし、自分の中に生きようとしている何かがあるのを感じてもいる。
どうせなら笑ってあちらに行き、そして彼らに会いたい。
『いいことばかりはありゃしないby忌野清志郎』し『わるいことばかりでもないbyブルーハーツ』(^^)b

最後に今の心境を。
あくまでも現時点でのことだし、もちろんやせ我慢と開き直りを含んでいるが、少なくとも今“幸せ”と“感謝”を感じている。

そうそう、あの頃セピア色に見えた景色は快復を実感できてきた頃に色付きで見えるようになってきて今はクリアに見えている。
ふと見上げた空の青と木々の緑のコントラストに目を奪われたりすると「こんなにも美しい」などと柄にもないことを感じたりしている。



こんなネガティブ、かつ拙い文を読んでくださってありがとうございます。
嫌な思いを持ってしまったら申し訳ないと思います。
特に今もきつい状況にいる方にそう感じさせてしまったならなおのこと申し訳なくと思います。
自分でも数年後の今こうしていられるのは結局は偶然でしかないのかもと思っていますし、相変わらず当事者であるのでご了承いただければと思います。
1人でもどなたかに、何かしら参考などになればと願っています。

#心の病気
#脳の病気
#うつ病
#メンタルヘルス
#今ここ

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